2012年10月23日

わたしの桃源郷で、しずかに、ヘラヘラと生きたい

旅行人の最終号
『世界で唯一の、私の場所』をよみかえす。
この号を最後に休刊ということで、
この雑誌に記事をかいてきたライターが、
自分の印象にのこっている場所についてふれている。
それぞれがとっておきの秘所をだしあうのかとおもったら、
あんがいなんということのない場所もおおい。
どこがそのひとにとって特別の場所となるかは、
ほんとにひとそれぞれだ。

田中真知さんはスーダンのダルフール地方にある村について
「至福の山、ジェベル・マッラ」(マッラ山)と題して寄稿している。

スーダンというと、内乱やかわききった砂漠が頭にうかんでくる。
しかし、写真をみるとこの村はきれいな小川のながれる高原地帯にある。
ハルツーム(スーダンの首都)から西に向かう列車に乗ること五日、そこからトラックを乗り継ぎ、山裾の村にたどりついた。山に入る前に、荷を背負わせるために村でロバを買い、ついてきた子ども二人を道案内にして山を登り始めた。といっても、とくに目的地があったわけではなかった。二日目の昼下がり、山間の小さな村にたどりついた。

目的地もないのに、そんな行程を田中さんはよくたどれるものだ。
そして、その村が田中さんにとっての桃源郷だった。

「村での暮らしはシンプルそのものだった。
朝は、村のそばを流れる渓流に水を汲みにいき、
薪にするための枯れ枝を拾い集める。(中略)
午後の暑い時間には川で水浴びをして、
木陰で昼寝をする。そのほかにも市で手にいれた米を川べりで研いだり、
お茶を湧かして飲んだり、村人に食事に招かれて、談笑したりする。
特別なことはなにもない。
でも、(中略)あたりまえのことが驚くほどの充実感に満ちていた」

きっと、この村のひとは、特別なことはなにもない日常を
しずかにくりかえすことにこころから満足しているのだろう。
そうやって、自分のすんでいるところで
すべてがみちたりているとおもえるのは、
なんという幸福だろう。

「ジェベル・マッラ」をよんだときにおもいだしたのは、
海士町(隠岐の島)のキャッチコピー
「ないものはない」だ。
なにもないことをひらきなおっているのではなく、
すべてが「ある」という意味での「ないものはない」。
また、『野宿野郎』の編集長、かとうちあきさんも、
野宿をすることで自分をしばっているものから
自由になれるたのしさをかいている。
みんな、おなじことをいっているのかもしれない。

自分にとっての桃源郷さがしは、
けっきょく自分のすんでいる町がいちばんよかった、
というのがひとつの理想的なゴールだ。
シンプルをとうとぶ価値観のもと、
自分の町で「ないものはない」と
ヘラヘラわらってわたしは生きたい。

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posted by カルピス at 22:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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