学校の文化祭として音楽会がひらかれるという。
ピピのちかくにある市民ホールが会場ということなので
仕事のあいまにたずねてみた。
わたしが会場についたときには、
ちょうどその子の発表がおわったときで、
残念ながら彼のクラスの歌をきくことはできなかった。
せっかくなのでしばらくのこり、
やがてはじまる3年生の合唱を鑑賞することにした。
クラスの代表が、自分たちのクラスと曲の紹介をして合唱がはじまる。
いちばんむつかしいといわれる
ややこしい時期をすごしている中学生が、
一生懸命(かどうかほんとうはわからないけど)壇上でうたっている。
それをみただけで、なんだか胸がいっぱいになってきた。
もう、おじさんなのだ。
ひとりひとりの子どもたちは、
なにをかんがえてこれまで練習をかさね、
どんな気もちでこうしてうたっているのだろう。
かたい殻をまとったようないつもの姿からは
想像できないナイーブさをかんじる合唱だ。
若者が集団でうたっているというだけで、
おじさんには無条件ですばらしい光景にうつる。
いま中3のむすこのことも、チラッと胸をかすめる。
あいつもクラスのなかでは
目のまえにいる子どもたちみたいに、
家とはぜんぜんちがう顔をしてるのだろう。
わたしが中学生のときにも、
こんなかんじの校内音楽会がひらかれた。
たしか、あらかじめきめられた曲と、
クラスでえらんだ曲との2曲を発表したようにおもう。
わたしもけっこうまじめにうたっていたら、
「ちょっとおまえ、うたうのやめてみて」
と前の列の生徒がわたしにいう。
そいつによると、わたしがうたうと全体の音がみだれるそうだ。
いわれたとおりにうたうのをやめると
そいつはふかく納得したようすで、
「これでよくなった。おまえは口だけあけて、声をださないほうがいい」
なんてひどいことをいう。
その友だち(そんなことをいうやつは友だちではないとおもうが)は、
クラスがいい成績をおさめるために真剣にそんな提案をしているわけで、
いわれたわたしも、残念におもいながら「協力」したように記憶している。
自分が音痴であることをしらされたかなしい体験だ。
生徒たちの合唱をきいていると、
そんなむかしのことまでおもいだした。
いまこうしてうたっている生徒たちも、
きっと、きょうの発表はいつまでも記憶にのこる
印象ぶかいできごとになるだろう。
わかものの集団がはなつ独特のエネルギーは、
おじさんとなったわたしにとって、ものすごく魅力があった。
音痴を指摘され、かなしいおもいをした子がいなければいいけど。
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