いつもの棚においてない。
『本の雑誌』は雑誌ではなく書籍ということで、
何ヶ月前から新刊コーナーにならべられるようになった。
今回も、またなにかの変更で場所がうつったのかとおもい
店員さんにきいてみる。
「うりきれました」ということだ。
発売されてからまだ数日しかたっていないのにうれきれるとは、
なにかものすごく話題をあつめる特集がくまれていたのだろうか。
あるいはどこかのセミナーがテキストとしてつかったとか。
「今年のベスト10」は人気をあつめるかもしれないが、
それは来月号の特集だ。
発売すぐのうりきれははじめてで、
なにかの偶然がたまたまかさなったとおもうしかない。
「グループ店にあればおとりよせできます、
注文されますか?」といわれるのでおねがいした。
つぎの日に、店にとどいたという連絡がはいる。
たのしみにひらいてみると、
うりきれになるような記事はとくになかった。
今月の特集は「天下の暴論!」で、緊急鼎談として
「出版界に天皇賞を」などの提案がのっており、
いつもの号よりもすこしはましかもしれない。
しかしうりきれになるほどの話題性があるとはおもえない。
実現できっこない「案」をいきおいにまかせてだしあう
おきまりの悪のり座談会で、
アイデア自体もそうひねったものがなく、アブクみたいなものだ。
「編集者は40歳で定年にすること、
なぜならおっさんたちがつくるから
本がつまらないくなっているので」
という提案を
そのまま『本の雑誌』におかえししたくなる。
永江朗氏のかいた
「新刊を一年間ストップすべし!」
という記事がおもしろかった。
もう本は十分あるのだから、
当分は既刊の本だけでいい、という案だ。
わたしもよんでない本がまだたくさんあるのに
ついまたかってしまうクチなので、
永江さんのいわれることがすごくよくわかる。
この案は、自分に制限をかけるという意味だけでなく、
本をつくりすぎの出版界にたいしての異議もうしたてでもある。
「ここ二十年の出版界はというと、
ほとんど下痢状態ですよ。
本をどんどんつくっては、
未消化のまま排出、つまり返品している」
この下痢状態には絶食がきくのではないか、という内容だ。
たしかにつくりすぎている本は
資源の浪費という面からも問題があるし、
本のありがたさをしるという意味で
いい体験かもしれない。
ずっと出版できないわけではなく、
1年間というかぎられた期間なので、
出版社も作家も、1年後にそなえての
充電期間にすればいい、という永江さんはいう。
雑誌は出版してもいいのだそうだ。
絶食のときの水分補給みたいなものだから
すごく重要になるという。
絶食はあまりに劇薬すぎて
『本の雑誌』をとりまく活字中毒者たちが
いちばん影響をうけそうでおかしい。
永江さんも禁断症状にくるしめられるのではないか。
この案を、制度として強制的におこなうのではなく、
個人の禁欲的な読書生活のために実行するのはなんの問題もない。
本はだめだけど、雑誌ならOKというゆるさなら、
1年間をなんとかたえらえるかもしれない。
そのあいだ、再読したかった本や、
まえからよもうとおもっていた古典への時間にあてるのは
いい体験になるだろう。
財布にもずいぶんありがたい企画だ。
高野秀行さんが「新刊ラマダン」という表現で
しばらく断食(新刊をかわない)する生活についてかいていた。
1ヶ月なら大げさな決心がなくてもできそうだ。
でも、ラマダンあけに反動で大量の本をかいこみ・・・
ということにならないといいけど。
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