横断歩道をわたりおえた女の子が、
運転手にお辞儀をした、
というメッセージがのっていた。
その子の行為にたいし
地元のほこりであり宝だと評価し、
「本当に大事にしていかなくてはと思います」とかかれている。
このメッセージに85人のひとが「いいね!」といっており、
コメントもおおくついていた。
全部その内容に共感するもので、
おおくのひとが「こころあたたまるはなし」
というみかたをしていることがわかった。
わたしはぜんぜんいいとおもわない。
女の子がお辞儀してお礼するなんて、
なんというひどい状況だろう。
運転手はとまるのが当然で、
止まったことに対して女の子がお辞儀をしてくれたなら
もうしわけなくおもうべきである。
とまったことに対してお礼するのが
礼儀ただしいとおもいこまされている
貧困な日本の交通事情をはじるべきである。
とまった車に女の子がにっこりわらう、とか、
かるくて手をあげて感謝の意をしめすぐらいならまだしも、
なんでお辞儀をしなければならないのか。
そして、それをなぜほほえましい風景とうけとめるのか。
ほとんどの車がとまらないからこんなことになるのだ。
わたしも横断歩道で歩行者をみかけたら車をとめる。
もしちいさな子がおじぎをしてお礼をいってくれたら
こっちもおじぎをし、それとともに、
おじぎをするようにしつけられた子にもうしわけなくおもう。
横断歩道でとまらないのがあたりまえという
絶対にまちがった状況を子どもたちにおしつけ
反対にとまった車にお礼をつたえるよう
おしえている状況がはらだたしい。
権利とか義務とかではなく、
社会のマナーとして当然まもるべきことを
ないがしろにしてきた結果が
女の子のお辞儀ではなかったか。
自動車学校ではあれだけうるさく歩行者優先や
安全確認をおしえるのに、
免許をとって車をはしらせると全然まもられなくなる。
それがもうながいあいだずーっとつづいてきているのが現状だ。
いまの教習システムや、免許制度では解決できない
根本的な問題があるとかんがえるしかない。
とまるのが当然だからとまるのであり、
歩行者は車がとまってくれてあたりまえなので、
お辞儀をしてお礼をつたえる必要はない。
もし自発的にしたかったらもちろんかまわないけど、
しつけとしてとか、美徳でおしつけるのではなく、
ほんとうはすべての車がとまるべきことを
まずおさえなくてはならない。
道路は車だけのものではないし、
歩行者こそがまもられるべき存在である。
とまろうとしない車にむかって
アッカンベーをするくらいのかわいげのない子が
(とおもわれるのがそもそもまちがっているけど)わたしはすきだ。
スポンサードリンク