『おひとりさまの老後』の続編だ。
前作は女性の「おひとりさま」にむけたものであり、
そのあとがきのなかで上野さんは
「なに、男はどうすればいいか、ですって?
そんなこと、知ったこっちゃない。
せいぜい女に愛されるよう、かわいげのある男になることね」
とつきはなしている。
本書は、それから2年後に、
こんどは男性だけにまとをしぼってかかれた。
女性がおひとりさまになるということは、
男性にもとうぜんおひとりさまがうまれることになる。
一般的にいって男性は、
会社という特殊な世界でながいあいだはたらき、
そこに適応しすぎることがおおいので、
女性よりも老後のハードルがたかそうだ。
家事スキルがひくく、
あそぶことがへたで、
ともだちをつくりにくい。
この本でとりあげられている
しあわせなおひとりさまは、
会社や家族に依存しすぎず、
はたらいていたときは、どちらかというと
仕事ひとすじのタイプではなく、
友人をたくさんつくってきたひとだ。
「カネ持ちよりも人持ち」のほうが
老後にはちからになってくれる。
そこらへんのことに気をつければ、
男おひとりさまでも生きる道はある、と
上野さんはいう。
ただ、むかしの男性のように、
存在じたいがビョーキ、みたいなひと、
つまり家では自分のことをなんにもできないひとは
かなりの自己改革が必要みたいだ。
こういう本をよむとき、
ひとはいろんな具体的なモデルを頭にえがいて
(もちろん自分もふくめて)、
どれだけおひとりさまで老後の生活をおくれるかを
採点するのではないか。
わたしはそこそこいけてるほうだとおもう。
なんでも自分でやれるし、ひとりであそぶことができる。
いまのところ健康で、生活習慣病もない。
いちばんの弱点は経済力で、このさきわずかな年金で
どうやって生活していくかはなるべくみないようにしている。
この本でかんがえさせられたことが2つあり、
ひとつは
・デイサービスとショートステイはいらない、
という中西さん(上野さんと『当事者主権』を共著したひと)のことばだ。
ふたつのサービスとも、家族のニーズがたかいから人気があるのであり、
いかされる本人にとってはぜんぜんありがたいものではない、ということ。
わたしは、障害をもったかたの支援計画をたてるときに、
つい「ショートステイにいけばいい」という発想をしてしまいがちだ。
家族の負担をかるくするための制度なので、
家族が利用したがるのは当然だとしても、
いかされる当事者の気もちを
まったくかんがえてこなかった。
わたしだってデイサービスやショートステイにいくのはいやだ。
自分がいやなことは、ひとにもやってはいけない。
もうひとつが
・おひとりさまのほうが介護保険をつかって家でくらしやすい、ということ。
へたに子どもたちの家族と同居したばっかりに、
老化がすすむと邪魔者あつかいされて
デイサービスや特養ホームにおくりこまれる。
おひとりさまで、だれも家にいなければヘルパーにきてもらいやすい。
家族だっていっしょにくらしていると
どうしても介護にかかわることを
まわりからあてにされて不満がたまる。
いっしょにくらすのが当然という
おもいこみで同居にふみきると、おたがいに不幸だ。
ほとんどのひとが自分の家で老後もくらしたいとかんがえるのに、
それができなくなる原因は家族がいるから、
だなんて、まったくひどいはなしだ。
わたしも自分の母親と同居している。
母親はまだ元気だからいいけど、
これから老化がすすみ、うごけなくなったり、痴呆がすすんだときに、
どれだけ家での生活をつづけることができるだろう。
むすこたちの家族がいるからおいだされた、
なんてことのないように、ずっと家でくらしてもらおう。
そもそも、いますんでいる家は母親の家なのだから、
それが当然なのだけど。
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