配偶者の実家は掛合町で、
そこでは葬儀会館をつかわず
地域の「組」が協力しての自宅葬が一般的だ。
葬儀がおこなわれることがきまると、
組にはいっている家は
一軒から男女ひとりずつが手つだいにでむく。
もしどうしても都合がつかないときは、
ほかの組のひとにたのんで、
とにかくふたりずつがかならずかけつける。
実家が所属する自治会は、さらに3つの組にわかれており、
その組には6軒あるので
12人の方が手つだいにむかうことになる。
お手つだいにきてくれた方たちは、
葬儀をだす家のために食事やお茶を用意し、
葬式につかう部屋をととのえる。
家族は、組のひとにすべてをまかせて、
なにもせずにただ通夜や葬儀の参加者に
挨拶していればいいそうだ。
というか、なにもしてはいけないのだという。
通夜のあとで、さっそく夕食をお世話になる。
組のひとがお盆をもって脇ひかえていて、
わたしたちの給仕をしてくれる。
おわんのなかのご飯やお汁がすくなくなると、
「おかわりはいかがですか?」とすぐ声がかかる。
旅館でもないのにこんなもてなしをうけると
なれないわたしはなんだかおちつかない。
これがはなしにきいていた組の接待か。
異文化体験というか、
時代をさかのぼったみたいというか、
「ザ・掛合」の神髄にふれた気分だ。
葬儀屋さんにたのむという選択もありなのだそうで、
それでもこのシステムがつづけられていうのは
ちゃんとそれなりの理由があるのだろう。
葬式は、ふたつの部屋をあけはなっておこなわれた。
つめたい雨がときおりはげしくふる天気で、
参列にきてくれたひとたちは
縁側のそとにたてられたテントにならんでおられる。
部屋のなかのわれわれだけが
ストーブであたたまわるわけにいかないので、
縁側の戸があけはなたれた。
1℃か2℃くらいしかないさむさのなかで、
コートをきずに喪服ですわっているのは、
真冬にスーツだけで外にいるのとおなじようなものだから
ものすごくさむい。
『タイタニック』のラストシーンで
海上になげだされたディカプリオみたいに、
大量の白い息がはきだされる。
世界でいちばんさむい葬式ではないかとおもった。
これ以上さむければ、生死にかかわるので
こんな状態でほっとかれないだろうから、
あながちおおげさな表現ではないとおもう。
お坊さんの読経は、ほんの10分でおわり、
すぐに焼香にはいった。
「たすかったー」とよろこんでいたら、
そのあと初七日がつづいておこなわれ、
けっきょく1時間はさむい部屋にすわっていたことになる。
組のひとたちは、初七日のあと部屋をかつづけ昼ご飯に準備をし、
あとしまつをしてかえっていかれた。
これでもずいぶん簡素化されたそうで、以前は3日間以上
葬儀のある家にはりついていなければならなかったという。
ながく入院していた義母の葬儀にも、
50名以上の方がきてくださり、
香典や弔電もたくさんいただいた。
地域と親族によるかたい結束のおかげで、
にぎやかないいおわかれの式となった。
「組」を維持していくのは
たいへんなこともおおいだろうけど、
そのすごさのひとつをはじめて体験したことになる。
わかいころのわたしは、
こういうしきたりをはっきりと否定していた。
50をすぎたいまは、ずっと肯定的だ。
将来わたしはこの町でくらすことができるだろうか。
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