『未来少年コナン』がとりあげられていた。
NHKがはじめて放送したアニメというわけだ。
この手の番組でよくやられるのが、
名場面を断片的にながして
「いや〜おもしろかったですね」という
ろくでもない構成だけど、
この番組ではコナンの第1話の29分を
そのままぜんぶみせるというやり方だった。
作画的にみるとこの第1話は
カリオストロ伯爵風にいえば「あまりよいできではな」く、
もっとはなしがすすんでからのほうが
コナンもラナも生き生きとうごきまわる。
宮崎さんは、
第1話でコナンがラナにはじめてであったときに、
この子のために生きよう、とつよくおもうほど
すてきな女の子として登場させたかったそうだ。
でも、このときのラナは、いかにも田舎そだちふうで
あかぬけておらず、あまり魅力的ではない。
その出来に不満だった宮崎さんは、
2話からはラナの作画をぜんぶチェックするようにしたという。
それ以降、ラナはどんどんかわいくなっていき、
8話でコナンをたすけるときなど、
わたしはジムシーのように「いいな、コナンのやつ、いいな」と
はげしい嫉妬をおぼえることになる。
1話をまるごと放送する、というのはいいやり方だった。
なんといっても第1話であり、ものがたりのスタートなのだ。
名場面ばかりより、ひとつの話をまるごと、がいいし、
その場合、最終回やまんなかのはなしよりも
第1話がふさわしい。
ハイハーバーのことをおもいだし、
おもわずしずみこんでしまったラナをみて、
コナンはなんとかラナの気もちをかるくしようと
「この島にも実があるんだよ」と
すっぱい実のなる木へとつれていく。
とにかくラナのためにつくそうとするコナンは、
このシーンからはじまっている。
わたしはコナンのように、
いつもラナのことをおもえるつよさがうらやましかった。
自分のことよりも、まずラナをおもう
コナンのようになりたかった。
『未来少年コナン』は、
環境破壊から人類が滅亡するのものがたりなのではなく、
コナンがラナのことを大切におもうはなしだ。
中年になったいまでも、わたしにはコナンのつよさがまぶしかった。
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