2013年01月13日

3回目でようやくわかった『ディア・ハンター』

2回目に『ディア・ハンター』をみたときには、
記憶にのこっている作品とあまりにもちがうので、
映画は(本も)2日目からがほんとうの鑑賞、
みたいなことをかいた。
おどろいたことに、3回目をみたきょうも、
おなじような感想をもつ。
こんな作品だったっけ?、と
いくつものあたらしい気づきがあった。

なんどみても、あの結婚式はすごい。
1時間かけて延々とロシア系の式をおいかける。
なぜあんなに延々と結婚式をえがく必要があったのか。

ロシア系住民がおおくすむペンシルバニア州の町で、
製鉄所ではたらくわかものたち。
やすみの日にはグループでシカがりによくでかけるという日常生活。
結婚式では自分たちの所属するロシア系の協会で、
おおぜいのしりあいがあつまって盛大にいわう
(ロシア系と、あとからでてくるロシアン・ルーレットとを
からませた、なんてことでなければいいけど)。

アメリカという国にすむおおくのわかものにとって、
これらがどういう意味をもつのかをイメージできないと、
この作品の理解はむつかしい。
ふつうにかんがえれば、おおくの日本人には
わからないのがあたりまえなのであり、
雰囲気にまどわされてたかく評価してしまうのを
警戒したほうがいいだろう。

場面がベトナムにうつるとリアリティがうしなわれ、
いっきょに退屈になる。
印象的なロシアン・ルーレットは、
おちついてみるとただのはったりで、
捕虜を相手にあんなことがおこなわれるわけがない。
スチーブだけを軍の車にあずけたのは、
マイケルのどんな感傷だろう。
ニックが退院したあとで、銃声にひかれてはいった賭博場に、
なぜマイケルがいるのか。
サイゴン陥落の混乱をきわめている時期に、
ニックの遺体をアメリカにつれてかえるのは、
さぞかしたいへんだったのではないか。

この作品がたかい評価をうけるのはまちがいだ、と
3回目のきょうで確信する。
ベトナム戦争のえがき方が
アメリカ側からの視点でしかない。

この作品がつくられた1978年は、
ベトナム戦争がおわってまだ3年しかたっておらず、
そのなかでこんな作品ができてしまったのは
ある意味でしかたのないことかもしれない。
しかし、それはもうむかしのはなしだ。
この作品は、ありえないロシアン・ルーレットをもちこむことで、
ベトナム戦争と、解放軍へのイメージを決定的にわるくした。
ふるさとの町からとおくはなれたベトナムで
たいへんな目にあったアメリカ人のわかものたち。
しかし、ベトナムのひとたちからみれば、
わざわざとおくからきて
自分たちの国をめちゃくちゃにしたのは
アメリカ人なのだ。

ニックの葬儀に参加したかってのなかまたち。
なじみの酒場にあつまり、だれかれともなく
『ゴッド・ブレス・アメリカ』をうたいはじめる。
そのとき彼らがなにをおもったのかは
日本人のわたしにも想像できる。
しかし、そこにいたるまでが
あまりにもメチャクチャすぎた。
1978年と、時代を限定すれば◯かもしれない。
しかし30年以上たったいま、賞味期限はもうきれてしまった。

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posted by カルピス at 15:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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