75歳という年齢と、めずらしい文体が話題になっている。
人物名・カタカナ・固有名詞をつかわず、
全文がよこがきという表記法だという。
わたしはまだ黒田さんの作品をよんだことがなく、
どういうかんがえでこの表記法をとりいれられているのかわからない。
ネットで紹介されている受賞作の『abさんご』は
「a というがっこうとb というがっこうのどちらにいくのかと,
会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが,
きかれた小児はちょうどその町を離れていくところだったか ら,
a にもb にもついにむえんだった.
その,まよわれることのなかった道の枝を,
半せいきしてゆめの中で示されなおした者は,
見あげたことのなかったてんじょう,
ふん だことのなかったゆか,出あわなかった小児たちの
かおのないかおを見さだめようとして,
すこしあせり,それからとてもくつろいだ」
というかきだしだ。
わたしは梅棹忠夫さんの影響で
できるだけ漢字をつかわずに、
耳できいてわかることばをえらんでかくようになった。
漢字をつかわないのは
漢字がなければいまよりもたくさんのひとに
日本語をつかってもらえるようになるためだ。
そのために、原則として訓よみとなる漢字は
ひらかなでかくようにしている。
あくまでも表記法にかぎってみたときに、
梅棹さんがつくりあげた表記法と、
黒田さんのものがとてもにているのがおもしろい。
ただ、文体としては梅棹さんの文章はひとつひとつがみじかく、
よんでいてとてもわかりやすい。
黒田さんのものは、小説であるために、わかりやすさよりも、
自分の世界をあらわしやすい文体をえらばれるのだろう。
また、ひらがなのつかい方も梅棹さんとはまったくちがうので、
ひらがなのおおい文章になれているわたしでもよみにくい。
漢字をつかわない表記といっても、
これだけのちがいがでることをしらされた。
75歳という年齢から、
敗戦直後のひらがな運動やローマ字運動にかかわられたのかとおもったが、
どうもそうではないようで、文学的な効果からえらばれた表記法のようだ。
梅棹さんと黒田さんという、まったくちがうそだちのおふたりが、
どんなとおまわりをしておなじような表記法をもつにいたったのだろう。
わたしには黒田さんの作品を小説として評価するちからがなく、
今回の受賞については、日本語のかきかたとして、
こうした表記もありなのだ、と
表記法の多様性をおおくのひとに気づかせてくれた点でよろこんでいる。
ひらがなをおおくつかおうが、ローマ字でかこうが、
日本語にはかわりがないことが理解されるようになれば、
これまでのものとはちがう表記法が
あたりまえのものとして市民権をえるかもしれない。
また、こうした表記を、芥川賞の選考委員がよくえらんだものだと感心もした。
漢字がすくない特殊な表記として黒田さんの文章を排除するのではなく、
文学的な魅力という点で公平に評価されたことがすばらしい。
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