2013年01月24日

コリンチャンスのサポーターからなにをまなぶか

『サッカー批評・60号』のコラム
「僕らはへなちょこフーリガン」では、
去年の12月におこなわれた
クラブ・ワールドカップがとりあげられている。
大会の決勝戦では、3万人ともいわれるコリンチアーノ
(コリンチャンスサポーター)が日本におとずれた。
コリンチャンスが世界一になるチャンスはそうないだろうからと、
仕事をやめたり、家や車をうったりして
日本にきたひともいるということだ(あくまでもウワサだけど)。

コラムでは、

「真のMVPは(中略)横浜国際総合競技場を
サンパウロの飛び地にしてしまったあのサポーター」

と、半分本気で応援のものすごさにおどろいているし、
迫力だけでなく、サッカーをみる成熟した目を評価している。

余談ながら、

「それにしても2万とか3万とかって数字も異常すぎる。
ジャンボジェット機100機分だぞ。
ほんとにそんなに飛んだのか?
空港の出国カウンターは大混乱だろ」

という指摘もおもしろい。
ほんとうだ。民族の大移動がおきたこの大会では、
旅行会社や空港など、いつもとちがう状況に
おどろくひとがおおかったのではないか。
2014年のW杯ブラジル大会は、
いったいどんなもりあがりをみせるのだろう。

「チャンスやピンチの歓声も、
目の肥えたサポーターだと
歓声が上がるタイミングが早いんだよな。
なんだかザワザワし始めて、
それが客席に波紋みたく広がって、
歓声や悲鳴になった瞬間、
はっきり目に見えるチャンスやピンチに発展して、
歓声がピークに達した直後、
初めて決定的瞬間がおとずれる・・・」

この点からいえば、日本のサポーターは
まだ運動会の見学レベルだ。
とくに代表戦になると、
サッカーをよくしらない観客がふえるせいか、
まるで「8時だヨ!全員集合」(ふるい!)の
オープニングのコントをおもわせる。
加藤茶や志村けんの一挙一動をみまもる子どもたちみたいに、
わかりやすくはでなプレーにたいして
「わー!」「キャー!」と歓声があがる。

「サポーターも百戦錬磨なんですね」
ということばがしめすように、
ブラジル人のサポーターは年季がはいっている。
サッカーがよくもわるくも
リアルに生活にむすびついているひとたちであり、国なのだ。
たかだかJリーグ20年の歴史しかもたない日本と、
そもそもくらべるほうが失礼というものだろう。

テレビ局についても注文がつく。

「サッカー先進国のTV中継は、
どこかの民放みたいな無駄な前フリ番組がないかわりに、
試合後の再現や分析や論議をするための
後フリ番組にたっぷり時間をかける」

しかし、テレビ局にいくら注文をつけても無駄なので、
サポーターやファンがテレビにたよらずに(SNSなど)
サッカーをたのしむ次世代のサッカーメディアをそだてよう、
というのが「へなちょこフーリガン」の提案だ。

「(お笑い芸人にたよる)ノイズだらけのTVばっかり観てないで
スタジアムにもっと足を運んで、
僕らもサポーター修行に励みましょう」

がいいまとめになっている。
わたしはJリーグのリーグ戦でさえ
まだ1回しかみたことがないささやかなサッカーファンだ。
自分の問題としてとらえられるほど、
特定のチームを熱心に応援したことがなく、
わたしの人生にかけているものがあるとしたら、
それはサポーターとしてのよろこびやかなしみだという予感がある。
運命のチームと、いつ、どんなかたちでであうのだろう。

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posted by カルピス at 22:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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