2013年01月26日

アルジェリア旅行のおもいで

20年まえにアルジェリアにいったことがある。
いった、といってもオランという町に2泊しただけだ。
このときはモロッコ旅行がメインで、
まあせっかくだから、となりのアルジェリアにもいっておこうか、
というノリだったようにおもう。
友だちと2人でラバトにあるアルジェリア大使館にいってビザをとり、
モロッコ側の国境の町ウジダから陸路でアルジェリアにはいった。

旅行者はわたしたちだけなのに、
イミグレーションで2時間くらいまたされる。
わたしの友だちは短気だったので、
まつのにイライラして
「もういくのをやめてかえろう」といいはじめる。
でも、とりやめるにはもったいないほど
ながい時間をすでにまっていた。
その発言からさらにずいぶんたまたされたあとで、
なんとかぶじに国境をこえた。

のりあいタクシーでオランの町にむかう。
オランはまるでマルセイユについたかのような、
うつくしい港町だった。
ホテルをきめてからちかくを散歩する。
港をあるいていたら、兵士がいてすぐにパスポートをチェックされた。
当時はイスラム救国戦線(FIS)が台頭していたころだけど、
内乱はおわっていたし、こんな西のはずれにある町だから、と
治安については全然心配してなかった。
パスポートコントロールはこのときの1回だけだった。

アルジェリアにはいるまえに、
闇両替でモロッコディルハムから
アルジェリアのディナールにかえた。
当時モロッコの通貨ディルハムが
アルジェリアのディナールにたいしてつよく、
闇で2倍くらいに両替してくれた。
2倍のお金があれば、ずいぶん豪遊できるのではないかと期待していた。

でも、アルジェリアにはいってお金をつかってみると、
2倍に換金してくれてやっとふつうのレート、というかんじで、
闇で適正レートに調整しているようなものだった。
ホテルも、モロッコの2倍はらうとおなじランクのホテルになる。
はらわなければ、つまりモロッコにいるつもりで
おなじような料金のホテルにとまったら、
モロッコでの安宿ランクのホテルでしかない。
しらずにはいった1泊目のホテルは、
トイレがつまってながれないし、
ベッドもひどいクッションで、
まともなホテルとはいえないサービスだ。
それにこりて、2泊目はいかにも外国資本がはいってるかんじの(たしか5つ星)
近代的なホテルにうつった。
サービスはいいけど、もちろん値段はたかく、
闇両替をしてないとはらいたくない金額だ。

オランついては、
ハマム(アラビア式公衆浴場)にはいったことと、
「砂漠のバラ」をおみやげにかったことくらいしか
印象にのこっていない。
わざわざアルジェリアにきてまでハマムにいくこともないのに、
よほどすることがなかったのだろう。
モロッコのハマムよりも健康ランド的で、
地元のひととはなしができてたのしかった。
「砂漠のバラ」は友だちがおみやげにほしがったものだ。
日本でかうと、というか、アルジェリア以外でかうと、
かなりたかくつくおみやげだけど、
ここではいろんな形・おおきさのものを
ずいぶんやすくかえる。
とはいえ石みたいなものだから(石そのものか)、
おもたいのでそんなにたくさんかうわけにはいかない。

オランで夕ごはんにはいった食堂は、
旅行者に開放されたばかりの中国をおもわせる、
おおきくてうすぐらいところだった。
ほとんどローストチキンとブライドポテトしかえらぶものがなく、
赤ワインのボトルを注文しても殺風景なテーブルで、
豪遊からはほどとおいディナーだ。
中国を連想したのは、えらぶことができない品ぞろえのわるさからで、
ほかのお店にしても、まるで社会主義国みたいに
色気のない展示のしかただった。

旅行していてあまりたのしい町ではなく
(オランはたしかカミュの『ペスト』の舞台となった町だ)、
けっきょく2泊しただけでモロッコにもどる。
税関で、イスラエル人の女性がはたらいていたことと、
モロッコにはいったときの開放感しかおぼえていない。
アルジェリアをかたるには、
あまりにもふるく、断片的でしかない記憶だけど、
旅行にはあまり魅力のないところだったようにおもう。
ただ、今回の人質事件でアルジェリア全体が
無法地帯みたいにとらえらえるのは残念だ。
いろんなことがはやくおちついて、
人々が安心してくらせる国になることをねがう。

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posted by カルピス at 21:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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