「つかみ」がすごくうまい。
祖父母の魅力的な人柄をさりげなくかたり、
読者の関心をふたりの過去にむける。
祖父がわかかったころの戦争、
レニングラード包囲戦をめぐっての体験をかたりはじめる。
祖父は、生きのびるためには、
5日以内に1ダースの卵をあつめなければならないという
奇妙な状況においこまれた。
どこかへんだけど、当時のレニングラードでは、
この命令を実行することがどれだけ不可能にちかいかを
読者は冒頭からの状況説明でよく理解しているのでリアリティがある。
よんでいる側はどんどんものがたりにひきこまれる。
ここまでわずか68ページしかかかっていない。
1941年のレニングラード。
ドイツ軍の包囲網にかこまれ、
もう半年も必要な物資がはいらなくなっている。
なにもかもたりない。武器も燃料も、そしてもちろん食料も。
すべての市民がおそろしく腹をすかし、
毒にさえならないのならなんでも口にいれる。
本の背表紙をとめているノリをとかしてつくったキャンディ
(図書館キャンディというのだそうだ)なんてものさえでまわっている。
配給されるパンはいろんなものがまぜてあり、
パンはおろかたべものらしい味さえしない。
ペットはずいぶんまえにたべつくしてしまったし、
いまや人肉にも手をだすひとがではじめている。
そんな状況のレニングラードで、
17歳の少年レフ(わかいころの祖父だ)は
窃盗罪で兵士につかまり、つぎの日にも処刑されそうになる。
おそるおそる朝をまっていると、
脱走の罪で20歳の青年コーリャがおなじ牢獄にはいってきた。
このコーリャがすばらしい。
勇敢な兵士なのに、いつも女のことばかりかんがえている。
17歳のレフを女のことでからかいながら冗談ばかりいう。
ふたりはだんだんいいコンビになってくる。
朝になると、ふたりは軍の大佐のところへつれていかれた。
大佐のむすめが次の週に結婚式をあげる。
そのおいわいにはケーキがどうしても必要で、
ケーキづくりには卵がいる。
大佐は、卵を1ダースもってくることができれば
ふたりの命をたすけるという条件をだした。
大佐の権力をもってしても、
いまのレニングラードでは、卵は手にはいらない。
ほとんど可能性のない命令ではありながら、
それでも2人は卵をさがしにでかけるしかなかった。
絶望的なさむさとうえにくるしむレニングラードをしると、
あたたかな部屋であたたかい酒をのみながら
ねるまえの読書をたのしむことが
どれだけありがたいことかをおもう。
あすの朝がくれば、かならず朝ごはんがまっていて、
なんでもすきなだけたべることができる。
これは、ドイツ軍の包囲戦に
なんとかもちこたえているレニングラードからすれば、
ありえないほどしあわせなことなのだ。
たべものを大切に、と道徳的なことがいいたいのではない。
やせようとダイエットをするひとたちを批判したいわけでもない。
生きる本能として、人間のからだがどれだけ脂をもとめるるかが
このものがたりの前提条件であり、
わたしはみごとにそれにひっかかった。
脂こそが生きのびていく鍵なのだ。
レニングラードの徹底的な飢餓状態は、
町にすむひとの意識をどうかえていったのだろう。
わたしはこの本をよみはじめてから
カロリーのことが頭からはなれない。
本をよみはじめたつぎの朝には、
脂を摂取しようとベーコンエッグをつくり、
そのつぎの日には、バターをたっぷりのせたベイクドポテトをたべた。
脂がすべてだ。生きるためにはなんとしてもカロリーを胃袋にいれるのだ。
2人はどうやって卵を手にいれるか。
そこがまたじょうずにくみたてられていて、
絶対できそうにないこの作戦を2人はやりとげる。
ありえないはずなのにリアリティをもたせているのは、
この小説が飢餓状況という設定をじょうずにいかしているからだろう。
すべてが1941年のレニングラードでしか成立しなかった。
そして、くらく悲惨な戦争という舞台を、それだけにとどめないで
かるさとわらいをもちこむことに成功している。
卵をさがすというメインストーリだけでなく、
そのあいだにはさまれる2人のおしゃべりもよかった。
軽口ばかりたたいているコーリャがいとおしい。
わたしはひさしぶりにミステリーのたのしさをぞんぶんにあじわった。
田口俊樹さんの訳もよく、安心して物語の世界にひたることができた。
おもしろくてチャーミングで若者らしくすがすがしいものがたり。
これはすばらしい小説だ。
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