4週間まえのことだ。
ぽっきりと、完全におれたわけではないが、
手首周辺のどこかの骨をおったことにはちがいなく、
全治5週間といわれギブスをつけることになった。
たいへんだろうなー、とわたしはおもった。
たいへんだった。わたしも、だ。
ギブスで右手がつかえないので、
料理はぜんぶわたしが担当することになる。
これまでも交代でやってはいたけれど、
配偶者がやすみの日だろうが、
仕事からはやくかえった日だろうが、
わたしがつくらなければならない。
こんなときこそむすこが手つだけばいいや、とはじめはおもった。
うでがつかえない配偶者が、むすこにさしずして、
時間がかかってでも料理をさせたらいいのだ。
たしかに数回はそういう日もあった。
でも、たのむほうも、たのまれるほうも
めんどくさくなったみたいで、
けっきょくはわたしが家にかえるまで
夕食の準備がすすんでいないようになった。
材料は配偶者がかってきてくれる。
まえの晩にわたしがメニューと必要な材料をメモし、
つぎの日の朝配偶者にわたす。
わからないことがあると、仕事中にも確認の電話がかかってくる。
きょうも、ナポリタンにつかうトマトジュースは無塩のものか、
塩をふくんだものがいいのかをきいてきた。
塩がはいっていないほうがいい、とわたしはこたえた。
料理をつくるときも、配偶者にたいしてわたしが指示をだす。
右手がつかえなくても、ヘラでフライパンをかきまぜたり、
味つけしたりと、やれることはたくさんある。
彼女は栄養士で、職場では調理師にむかって
きびしいことをいっているであろう彼女に、
なんちゃって料理しかできないわたしが指図するというのは
あんがい気分のいいものだ。
料理はたしかにつくるひとのこのみが反映されるので、
ふたりがそれぞれ自分流にやるとうまくいかない。
どちらかがリーダーになるほうがよくて、
いまはそれがわたしの役割だ。
このまえクリームシチューをつくるとき、
彼女にホワイトソースをまかせたらうまくいかなかった。
小麦粉がすくなすぎたのだそうだ。
なんだか牛乳スープみたいなクリームシチューができあがり、
これだったら自分ひとりでつくればよかった、とおもった
(配偶者はよんでないだろうな}。
今夜のハンバーグも、いつもだったらもっとパン粉をいれるのに、
配偶者の存在がなんとなくわたしにパン粉の追加をためらわせたので、
「ん?」と首をかしげながらたべるハンバーグになってしまった
(ほんとうに彼女はよんでないだろうか?)。
配偶者の名誉のために補足すると、
仕事としてつくる料理と、
家で家族がたべる料理をつくるのとは、ぜんぜんべつのようだ。
わたしがネコたちに愛想をふりまくくせに、
家族にはほとんどその笑顔をむけないのとよくにている。
食事づくりではメニューをきめるのがたいへんだ、とよくいうけど、
あんがいそういうことはなく、
そのときどきのわたしがつくりたいものをつくる。
すきなものをたべれるのは、それはそれでわるくない。
たいへんなのは、仕事をはやくきりあげなければならないことだ。
仕事から7時にもどって45分ほどで準備し、家族4人で食卓をかこむ。
いまどきどれくらいの家庭で、
家族そろって夕ごはんをたべているだろう。
週2回とかでなく、毎晩というのは、
ほとんどありえないぐらい絵にかいたような団欒風景だ。
しかし、我が家は極端に会話がすくなくて
(なんだかおしゃべりしてはいけないルールがあるかのように)、
団欒にならない。
沈黙にたえかねてわたしはテレビをつける。
このごろはヨーロッパサッカーを
毎日のように放送してるのでとてもたすかる。
わたしはサッカーがすきなので、興味がないわけではなく、
みればそれなりにおもしろい。
とはいえ、プレミアリーグやブンデスリーガの順位や選手について、
とくに知識があるわけではない。
いかにも「ぜったいにみのがせない」みたいに
チャンネルをあわせるのは「沈黙よりまし」だからだ。
試合のもりあがりとともに、なごやかな雰囲気になればいいけど、
そういうわけでもなく、ただ沈黙におしつぶされるのをさけることはできる。
せっかくつくった料理をだまりこくってたべるよりもずっとましで、
2013年の冬を、ヨーロッパサッカーとくっつけて、
わたしはなつかしくおもいだすだろう。
いまブンデスリーガには、なんと10名の日本人選手が所属するようになった。
プレミアリーグでは香川と吉田麻也が活躍しているし、
セリエAにはもちろん長友がいる。
かれらのおかげでどれだけ我が家の夕食がたすけられたことか。
配偶者が手首をケガしたことと、
ヨーロッパサッカーへの日本人選手の大量加入が、
まさか関係するとはおもわなかった。
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