ただもうそれだけでありがたいとおもう。
とくに七難八苦の山々をのりかえたわけではないけれど、
交通事故にもあわず、おおきな病気もせず、
ごくふつうに卒業式のいすにすわれたことを感謝する。
むすこについて、まったく心配することのない3年間だった。
勉強してるようすはぜんぜんなかったけれど、
友だちがよくあそびにきてくれたし、
わたしがすすめた本をよんでくれた。
ネコたちをだいじにしてくれたし、
わたしの口もとにゴハンつぶがついてたらおしえてくれた。
わたしはもうむすこがなにをかんがえているかわからない。
りっぱなからだと、それなりの年齢になったのだから、
これからはすすむ方向を自分でかんがえていくだろう。
経済的にはあと3年くらい面倒をみるのが一般的だ。
べつに一般的でなくてもいいから
えらんだ道をすすんでいってほしいとおもう。
卒業式のひとつのデーターとして紹介すると、
むすこの学年は200名で、3年間ずっと5クラスだった。
もうすこしで6クラス、という人数なのだそうだ。
ひとクラス39〜41人ということで、
教室にはいってみると、机とイスが
ぎっしりつまっているようにみえる。
こんな息ぐるしい空間に
中学3年生というエネルギーのかたまりみたいな少年・少女が
よくおさまっていたものだ。
おしえる方もたいへんかもしれないが、
つめこまれる方だって楽ではなかっただろう。
200人のうち、ひらがなだけをつかった名前は9名で、
全員が女の子だった。
いわゆるキラキラネームはすくなくて、
ほとんどの子の名前がよめた。
式のおわりのほうで、卒業歌というのがうたわれた。
いまは『仰げば尊し』ではなく、
『旅立ちの日に』が圧倒的な定番ソングなのだそうだ。
たまたまきょうの午後、仕事のうちあわせでおとずれた
小学校でも、卒業式の練習にこのうたを練習していた。
ゴテゴテと感動をおしつけるのではなく、
卒業をすなおに表現していて、いいうただとおもった。
式がおわってから、「さいごの学活に保護者の方も」、
とうながされて教室へ移動する。
式ではクラスの代表だけが卒業証書をうけとったので、
こんどはひとりひとりに担任の先生が手わたされる。
卒業証書といわれなければしんじられないくらい、
緊張感がなく、ごくふつうの「学活」にみえた。
家ではほとんどはなさないむすこが
教室で友だちにむけては笑顔をみせている。
でも、それ以外のときは、
あんな目でみられたらやりにくいだろーなー
とおもわせる、したしみにくい視線をむける。
うちによくあそびにくる子が、
教室では制服のボタンを2つはずし、
それなりの顔をしてたのがおかしかった。
昇降口の外では、応援団の子どもたちが
「フレー!フレー!」と声援をおくっている。
在校生がベランダにならび、
卒業生をみおくってくれる。
むすこはいつものようになにもしゃべらない。
わたしと配偶者がむすこがのった車は、
なにごともなかったかのように家にむかった。
なにごともなかったのだろうか。
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