2013年03月16日

ママ母のようなチャコへのいじわる

2匹のネコ、ピピとチャコといっしょにくらしている。
チャコにいじわるしたり、きびしいことをいったあとで、
なんだかママ母みたいだな、とこのごろよくおもうようになった
(ママ母って、もう死語なのだろうか、最近きかない)。

ストーブのまえで、場所とりのじゃれあいをしていても、
しかられるのはいつもチャコだ。
おなじようなことをしていても、
しかられるのはチャコの役目で、
ピピにその余波がおよぶことはない。

ピピには顔をあわすたびに
「はーいピピ!かわいいねー」とよびかけ、
われながらネコなで声とはこのことだとおもいつつ、
濃厚な愛撫をくりかえすのに、
チャコには「あんたもかわいいね」だけという
ぜんぜんそっけない態度だ。
ご飯をねだっても、
「あんたはデブだからたべなくていいの!」
なんてひどいことをいう。
この差はどのようにうまれたのだろう。

ピピはこれまでなんどもケガや病気で
あぶないめにあってきた。
このあいだ背骨をいためたときも、
ついにピピとのおわかれかとかなしみにくれ、
1周間ほどでげんきをとりもどすと
なんだか人生の第2章がはじまったかのように
目のまえの景色がちがってみえた。
いっぽうのチャコは、圧倒的な体重をいかして、
多少の病気やケガでたとえねこんだとしても、
すぐ回復するだけのじゅうぶんな体力がある。

また、ピピはどこか優等生的なところがあり、
学校でいうと、先生のまえでいじめらえているのを
じょうずにアピールするという
けっこういやらしい性格だ。
チャコはあまり頭がよくなく、
しょっちゅう混乱してワーワーないている。
たべたことをすぐわすれるのだろうか、
いつもご飯を催促し、その結果7.5キロという、
ネコというよりタヌキの体重になってしまった。
ご飯をあげないのは、健康面からの配慮ともいえる。
ほんとうは、教育的指導と体罰がちがうように、
心配よりもいじわるを実感しているけど。

で、そのママ母的な対応をしていると、
ママ母は、その子をきらって
いじわるをしているのではないことがわかってきた。
いじわるというより条件反射であり、
かんがえる間もなく声をかけ、態度にだすのだから
やっているほうは罪の意識はなく、
当然の対応をしているだけという認識しかない。

わたしの配偶者が、むすこのお昼ごはんとして
おかずをどっさり用意するのにたいし、
そのほんのついでにわたしの弁当用を
3分の1ほど小皿にとりわけているのは
おなじような心理なのだと想像する。
かんがえたすえの配慮ではなく、
反射的に差をつけるところがこわいところだ。

チャコがかわいくないわけではなく、
その表現にちがいがある、というのは
かっこつけすぎかもしれないけど、でも本当だ。
チャコはピピ的にかわいがっても
それをどううけとめていいかわからないし
(わからないようにそだてた、ともいえるけど)、
ピピにチャコ的な対応をしたら
きっとふかくキズついて、家をでていってしまうだろう。
個性にあわせた必然のかわいがりかたといえる。

むかしばなしにでてくるママ母は、
なにをおもっていじわるをくりかえしたか。
なにもおもってなかったから、
いじわるをくりかえせたのだろう。

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posted by カルピス at 20:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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