本をよむのが趣味、というより生活そのものであり、
活字をおわない人生などありえないわたしとしては、
目の健康はとても大切だ。
病院で検査ということから、
わたしなりにかんがえて荷物を準備した。
文庫本と単行本を各1冊、キンドルペーパーホワイト、
MacBook Air11インチ。
iPodもカバンにはいっているけど、
名前をよばれたときにわからないとこまるから、
今回は出番がないだろう。
受付をすませると、すぐ検査がはじまる。
視力からはじまり、ゆがんでみえるかどうか、とか
目に風をあてたり、眼圧をしらべたり、
白い点がみえたらブザーをおしてください、
なんていうのもあった。
まぶしいひかりをあてて写真をとられたり、
造影剤をいれて写真をとったり。
目の検査だけにこんなにたくさんの種類があるのかと
おどろいてしまう。
検査をする側のひとは、ほんとうに
この複雑な装置を理解してあやつっているのだろうかと
うたがいたくなるぐらい、
検査ごとにたくさんの機械がつかわれている。
目の複雑なつくりをしればしるほど、
神の存在をしんじたくなる、と
なにかでよんだことがある。
進化の過程でだんだんととのってきたと理解するには
目はあまりにも完璧で複雑な構造なのだそうだ。
そのややこしい部分が医学の進歩によって
どれだけ神のかわりをはたすようになっているのだろう。
検査のために目薬をいれられると、
やがてキンドルの文字がみえにくくなってきた。
とおくのものはよくみえるのに、
手元の文字はぼんやりして、とても読書にならない。
こんなときこそキンドルの文字サイズ調整機能だ。
活字をおおきくして、ぼやけた文字に対応する。
検査にそなえて周到な準備をしてきたかいがあった。
けっきょくこの検査のあいだに
よみかけていたキンドルの本をよみおえ、
べつの単行本を半分くらいまでよめた。
まち時間を覚悟して病院へいったので、
予定していたとおりに読書がはかどった。
検査はいつまでもおわらない。9時すぎにいったのに、
12時をすぐてもまだいくつものこっているみたいだ。
あまり仕事に熱心とはいえないわたしでも、
午後からの送迎にまにあわないのではないかと心配になってきた。
受付にいって、検査のみとおしをおしえてほしいこと、
1時半には病院をでたいので、
まだ時間がかかるようならべつの日に
つづきをやりたいことをはなす。
そのはなしをだしたとたん、検査がうごきだした。
あと3時間くらいかかりそう、とおもっていたのに、
バタバタッといくつかの項目をかけあしでとおりぬける。
病院は、ひとをまたせることにためらいがない。
病院の「ちょっとまっててくださね」くらい
あてにならない「ちょっと」はないのではないか。
きょうもいったいどれだけ「ちょっと」をきいたことか。
また、患者が全体のみとおしをもてるようにという工夫がかけている。
「これだけの検査をするので、最低◯時間かかります」と
なんではじめにおしえてくれないのだろう。
診察の結果は眼底出血だった。
糖尿病や高血圧でなくても、
またさほど高齢でないひとでも
出血をおこすことがあるのだそうだ。
眼底出血には2つのタイプがあり、と
説明されたけど、むつかしい病名なのでおぼえきれない。
あまりいいみとおしのはなしではなかった。
いまのうちはそう視力がおちてないけど、
これからどうすすむのかわからないので、
注意してみまもる必要がある、ともいわれる。
目は2つあるので、そのうちの1つくらい、
とはとてもおもえない。
命にかかわることもないだろうけど、
だからといってかるくうけとめる気にはなれない。
よくみえるうちにやりたいことを全部すませておこう、と
とっさにおもった。
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