2013年05月11日

出雲大社と参道の成熟に期待する

このまえサイクリングをしたときに
出雲大社へもたちよった。
そうしたら、ものすごい車の列と
ひとのかずにおどろいてしまった。
大鳥居のずっとてまえから車の渋滞ができている。
わたしたちは自転車なので
車のよこをとおりぬける気もちのよさをあじわう。
でも、大鳥居からもひとの列がすごくなり、
自転車をおしてあるくのも難儀なほどだ。
とおりにはたくさんのお店がならび、
お昼ごはんの時間をだいぶすぎているのに
ほとんどの店で行列ができている。

あとでフェイスブックをみると、
この日の出雲大社の混雑ぶりが話題になっていた。
きのうと今朝の朝日新聞でも、
出雲大社のにぎわいがとりあげられている。
パワースポットブームや「平成の大遷宮(せんぐう)」、
それにきょねん神話博がひらかれたりとおい風がふき、
地元でも参道のにぎわいをとりもどそうと
お店を改装したり、あいていたお店に
ぜんざいの店などをだしたりしている。
先日のひとごみはその成果だったわけだ。

朝日新聞の記事では、
まちづくり団体「神門通り蘇りの会」を設立した多々納さんの、

「めざすのは、『来て良かった。また来たい』
と思ってもらえるまちづくり」

というコメントを紹介している。

自転車でとおりすぎただけでは
出雲大社のよさがわからないし、
お店にはいったわけでもないので
「おもてなしのこころ」にふれる機会もなかった。
でも、わたしが観光客だったら、
あれだけひとがおおく、行列があたりまえなところへ
「またいきたい」とはおもわない。
いくらにぎやかがいいといっても、
適正な人数があるはずで、
おおくてもそれをさばけるシステムがあればいいけど、
いまの出雲大社はまだうけいれる体制がととのっていないところに
おおすぎる観光客がきてしまった。
もちろん、混雑がすきで、行列にならばないと
おでかけした気にならないようなひとがいるわけだから、
これはあくまでもわたしのかんじたことだ。

さびれたとおりだったところが、
あんなにもたくさんのお客でにぎわうようになり、
町おこしに尽力された方々はとてもよろこんでおられることだろう。
わたしも、2年ぶりにたずねただけで、
すっかり観光地らしくなった参道におどろいてしまった。
これからはうけいれ体制がだんだんととのっていき、
出雲大社とこの参道のよさを
おとづれたひとがもっとたのしめるよう工夫されるとおもう。
おおくのひとがほんとうに「また来たい」
とおもえる参道となることをねがっている。

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posted by カルピス at 17:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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