老人になったらむしろ肉をとか、
食や栄養をめぐる情報がかまびすしい。
生活習慣病や認知症の予防とも関連づけられ、
なにがただしいのだかすごくわかりにくくなっている。
700万年という人類のながい歴史をかんがえたときに、
あるべき食生活はどうとらえたらいいだろう。
穀物をつねにたべられるようになったのは、
たかだかこの数千年まえからにすぎず、
そのまえの圧倒的にながい期間を
人類は狩猟・採集によって食料を手にいれていた。
穀物を主食にするという食生活は
ごく最近からはじまったにすぎない。
朝・昼・晩という、いちにち3回の食事の歴史だって
たかだか数百年(あるいはもっとみじかい)のことだろう。
でありながら、伝統的な食生活とか、
日本型の食事がいちばんなどということが
なぜいえるのだろう。
乳がんや大腸がんなどの増加を
食の欧米化にもとめる意見をよくきくけれど、
どれだけの根拠があってそういえるのか。
現代人の食生活は、700万年からみれば
ほんのついこのまえからはじまったばかりといえる。
NHK特集で、人類は進化するにあたって病気の起源を背おいこんだ、
という番組をみた。
ガンや脳卒中、それに認知症など、
おおくの病気は脳がおおきくなったことと関係があるようだ。
おなかをへらしたくない、
おいしいものをたべたいというねがいを、
おおきくなった脳で人類がおいもとめていくと、
どうしてもそれまで適応していた食生活からはなれていく。
からだをうごかすこと、
満腹するだけの食料がないことを基本に
人類のからだはつくられているのに、
現代人はそこからいちじるしく逸脱してしまった。
からだをうごかさずにおいて、
おいしいものをたべつづければ、
いろいろな病気をひきおこす。
おなかいっぱいたべたい、
脂肪をとりこみたいというのは、
すべて脳がもとめていることだ。
おおきくなりすぎた脳は、
肉体を傷つけても欲望をみたそうとする。
この矛盾は、おおきくなりすぎた脳があるかぎり
かならずうまれてくる。
おなかをすかせたくない・ながいきしたい・
病気になりたくない・死にたくない
という煩悩をおいもとめていくとどうなるか。
おおきくなってしまった脳は、かんがえることをやめない。
進歩とか発展とか、人類がよかれともってすることは、
ながい目でみれば人類の首をしめているかもしれない。
脳は個体を生きのびさせるよりも、
みずからを発展させることを目的にしているようにみえる。
脳のこうした進化は矛盾でしかないけれど、
とめることはできないので、
人類はこれからも生物として
どんどんいびつな姿になっていきそうだ。
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