ものごとのつらさは、たとえばインフルエンザにくるしむときは、
純粋な熱のつらさだけではなく、
「『ああ、起きなくちゃ、体が重くても、皿を洗わないと(中略)』
などという『予想そのもの』の重さなのだ」
とかいてあった。
そして、「〜しなくては」とおもわないですます方法として
「時間を細かく割るのがこつだと思っている」。
「細かく割るとますます忙しさが大変になるような気がするが、
なぜかそうではないのだ。
大きくするのは簡単だ。果てしなく大きくしたら
『生まれる、育つ、死ぬ』でおしまいだ。
大きくするほどなぜか余地がなくなるのだ。
これと同じ感じで『どうせまた使うのになぜ片付ける』
『またすぐ洗うのになぜ洗濯する』
『お茶をいれて急須を洗ってまたお茶をいれるのはめんどくさい』など、
大きく見ると逆にどんどんタイトになる。
実は、割っていくほどそのわずかな余地に、
なにかが生まれる可能性がいつだってあるのだ。
人はそれを信じるとか希望とは呼ぶんだと思う」
これはたしかに人生の真理で、
よく目先のことばかりかんがえるな、みたいなことをいうけど、
目先のことこそがじつは大切なようにおもえてきた。
ながいスパンで人生計画などをたてるときは、
そのあいだの時間がスカスカになってしまわないよう
気をくばる必要がある。
いま、目のまえにあることを大切にすること。
ずいぶんまえのことで、アルバイトさきの職人さんが、
仕事の過程でたまってくるゴミを
なんどもなんども掃除してかたづけるのが不思議だった。
「どうせまたゴミがでるから、まとめてやればいいのに」とおもったのだ。
でも、じっさいに自分もいっしょにうごいてみると、
そのつどめんどくさがらずに掃除したほうが
圧倒的に気もちよくうごけることがわかった。
「時間を割る」ということと、こまめに掃除をするのは、
おなじ意味をもっているような気がする。
サッカーでも選手同士の距離感について、
コンパクトなポジショニングがこのごろ注目されている。
間のびしないコンパクトさが人生のキーワードだ。
「生まれる、育つ、死ぬ」だけにならないよう、
細部にこそ目をむけたい。
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