「しょうがない」と認識されているようにおもえる。
危険をしょうちで頭からつっこんだ選手を
「勇気のあるプレー」とたたえ、
だいじな試合で相手とのせめぎあいでまけると
「もっと球際のつよさを」とかいう。
しかし、ケガが当然という危険なプレーや、
やられたらやりかえす、
けずられたらけずりかえす、という
「サッカーらしい」迫力のあるプレーは
選手たちをケガにまきこみ、
数ヶ月もプレーできなくなることがめずらしくない。
選手生命にもかかわる危険なプレーが
「あたりまえ」におこなわれるのはおかしくないか。
チームによってはケガを予防ために、
専門のトレーナーをおくところもある。
どうしたらケガをしない選手生活をおくれるか、ということや、
ケガからはやく復帰するためのコンディショニングは
もちろん大切だろう。
わたしがかんじるのは、
危険なプレーのおおくが「サッカーだから」と
暗黙の了解のうちにみのがされ、
すこしぐらいのケガはあたりまえ、という
前提条件がそもそもおかしくはないか、ということだ。
相手の足をめがけてすべりこんでいき、
審判には危険なプレーでなかったこと、
わざとではなかったことをアピールし、
たおれこんだ選手に形式的にあやまり、
頭をポンポンとたたいておわるというのが、
「サッカーだから」ゆるされていいのだろうか。
ルールによってプレーはかわってくる。
たとえば、すね当てが義務づけられたのは
1990年からだというし、もっとさかのぼれば、
パブリックスクールでサッカーがさかんにおこなわれていた時代には、
シューズのさきに金具をつけて相手をけることが
あたりまえのプレーとしてみとめられていた。
それ以前は、そうやってケガをさせるのがみとめられていたわけだし、
そのプレーをふくめて「サッカー」としてとらえらえれていた。
いまではスパイクのウラをみせるプレーは
危険であると禁止されているし、
ケガをさせることを目的とした金具もゆるされていない。
ルールによって競技をより安全な方向性にみちびくことができる。
悪質なプレーには、もっと厳格な処罰をとるべきだとわたしはおもう。
ぜったいに相手にまけないという気迫で試合にのぞみ、
1対1の場面ではからだをはってボールを死守する勇敢さを
わたしも評価する。
しかし、勇敢さと危険なプレーとのあいだには
もっと厳格な線がひかれるべきではないだろうか。
女子サッカーは男子ほど危険なプレーはみられないし、
男子でも日本と中国ではずいぶんちがう。
試合の内容をたかめるために、
そして選手たちが質のたかいプレーをながくつづけるためにも、
ケガがあって当然という認識をあらため、
ルールの厳格化をもとめたい。
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