これは復讐のものがたりだ。
4年生の「ぼく」は、はなした言葉を相手がかならず実行するという
不思議なちからをもつ。
「◯◯しなさい、そうでなければ☓☓になる」とささやけば、
相手はそれにどうしてもしばられてしまう。
ある日、小学校でかわれていたうさぎたちが、
確信的な変質者によってバラバラにころされてしまう。
その現場をいちばんはじめに目にすることになったふみちゃんは、
ショックのあまり声をうしない、こころをとざしたまま
学校にこれなくなった。
ふみちゃんは、『すみれファンファーレ』のすみれちゃんみたいだ。
美人ではないかもしれないけど、
ひとの気もちをおもいやるすてきな女の子で、
学校のうさぎをとてもかわいがっていた。
そのふみちゃんが、虐殺現場をみたときのすさまじいショック。
しかし、うさぎをころしても、
法的には器物破損にしかあたらない。
犯人の大学生は、事件のあともまったく反省する気もちはないし、
へらへらとおなじ生活をつづけることができる。
大切な女の子をひどいめにあわせた犯人にたいして、
「ぼく」は不思議なちからをつかって復讐することにきめる。
「ぼく」はどんなことばをえらんだか。
うさぎたちがくるしむ場面があまりにもいたいたしくて、
とちゅうでよむのをやめたくなる。
犯人によってきりきざまれたうさぎをみたふみちゃんは、
声をうしなってとうぜんとおもえるほどふかいキズをおった。
犯人がしたことは、あまりにもひどすぎた。
わたしだったら、犯人にどうやって復讐をするだろう。
『レザボア・ドッグス』にでてきたみたいに、
イスにしばりつけ、さるぐつわをかませ、
いたぶりながらすこしずつナイフをつかっていこう。
犯人が、生まれてきたことを後悔し、
はやく死にたくなるような
ものすごいくるしみをあたえたいとおもった。
それだけのことをこいつはうさぎにたいして、
そしてふみちゃんにたいしてやったのだ。
もっとも、こういう復讐の方法は本書のなかにもでてきて
はっきりと否定されている。
にくしみにかられての復讐は連鎖するからだ。
それでは、どういう復讐がもっとも効果的なのか。
「ぼく」は、おなじような不思議なちからをもつ先生と対話をかさね、
ちからをつかうときの覚悟や、
命についてのとらえ方を確認していく。
たとえば、蚊ならころされてもしかたないのか。
食用にする動物はどうなのか、
また、動物をつかっての実験はゆるされるのか。
「ぼく」は犯人にどうなってほしいのか。
「ちから」をつかって復讐を実行する日まで、
「ぼく」はいろんなことをかんがえたうえで、
どんな言葉で犯人をしばるのかをきめる。
さいごにどんでんがえしがあり、
とてもあぶない目にはあったものの
犯人にたいしてきわめて効果的な復讐をすることができた。
ただいかりにかられてしかえしをすることしか
頭にうかばなかったわたしにくらべ、
「ぼく」の勇気と、ふみちゃんへのおもいのふかさはすばらしく、
夢中でよみすすめるおもしろい本だった。
しかし、もういちどよみたいか、というと、
ためらってしまう。
うさぎとふみちゃんへの行為があまりにも残酷だった。
また、うさぎごろしの犯人のような悪意をもった人間が、
世の中にはすくなからずいて、
ネット上でもそうしたやりとりをたのしんでいるという現実に、
胸をふさがれるおもいがする。
わたしは、自分が大切にするものをキズつけた人間にたいし、
どうしてもやられたことをやりかえしてしまうだろう。
世界中の民族問題・紛争がしめすとおり、
復讐は問題の解決にはならない。
それがわかっていても、いかりにかられての復讐からさきに
かんがえがすすまない。
この本がしめす問題は、じつはとてもおおきい。
スポンサードリンク