イタリアを相手に3-4のうちあいになるなんて
予想していなかった。
イタリアがとくにわるかったわけではなく、
日本がめざしてきたサッカーがりっぱに機能したのだ。
日本はほとんどの時間帯でボールを支配し、
せめつづけ、イタリアはそんな日本をあきらかにいやがっていた。
おわってみれば、おしい試合だった。かてた試合でもあった。
試合後のインタビューで、
「手ごたえをかんじたのでは?」
とたずねられた香川が
「いや、かてなければ意味がないです」と、
はきすてるようにいった。
かっこうをつけていったのではなく、ほんとうにくやしかったのだ。
ほかの選手たちも、
イタリアを相手にした健闘をたたえらえても、
いちように「かてなければ」とくちにしている。
そうだ。かちきることがもとめられた試合だった。
2-0とリードし、自分たちのサッカーが通用することがわかり、
予選通過のためにはどうしてもかち点が必要でもあった。
そこをすんなりかたせてくれないところが
さすがにイタリアだったともいえる。
日本のぶあついせめは、終了間際まで迫力があった。
イタリアはカテナチオというよりは
足がとまってまえにでられない。
日本はディフェンスの外側で自由にパスをまわし、
スキをついてペナルティエリアにボールをもちこむ。
後半37分には岡崎のシュートがポストをたたき、
こぼれだまを香川がヘディングすると
それもクロスバーにはばまれる。
43分にはきまったかにみえた吉田のヘディングが
オフサイドと判定される。
17本のシュートをあびせながら、
どうしても4点目をこじあけることができなかった。
「いいサッカーをしたほうがかつとはかぎらない」という、
ひとつの典型のような試合だ。
とはいえ、4失点すればふつうはかてない。
「うちあい」はみていてたのしいけれど、
ディフェンスの課題があきらかになった試合でもあった。
まえのブラジル戦のときにかいたように、
こうした経験を日本はつみたかったのだ。
強豪を相手にたとえ3連敗しても、
自分たちのたち位置をしることができれば参加した意味がある。
ブラジル戦では相手をおそれてしまい、
まったく日本らしさをだせなかった。
あとがなくなったこのイタリア戦では
日本のサッカーが世界に通用することがわかった。
善戦できた手ごたえより、かてなかったくやしさを選手たちが共有した。
セットプレーと、試合開始・終了間際に課題があることもあきらかになったし、
一流国はすこしのミスもみのがさず
点につなげてしまうことも体験できた。
コンフェデ杯に参加できた意義はおおきい。
ザッケローニ監督がここぞというときにおくりだすのは
けっきょくはいつもの11人だ。
このメンバーが、日本のこれまでの到達点ではあったが、
限界点もみえてきていた。
Wカップ本大会にむけて、これからはじまるあたらしいチームづくりでは
Jリーグで活躍中のいきのいい選手たちをとりこんで
またべつのつよみをもった日本となることに期待したい。
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