食料をえるために、べつのグループに攻撃をくわえることがあるという。
あるひとたちは、その攻撃から戦争がなぜおこるのかをかんがえた。
いっぽうべつの学者は、チンパンジーがおたがいにちからをあわせたときに
攻撃が成功したことに注目し、
なぜ人類はおたがいに協力するのかをかんがえた。
このはなしから、
協力しあって相手を攻撃するという遺伝子が、
チンパンジーのころから人類にくみこまれており、
わたしたちがサッカーに熱狂するのは、
この遺伝子と関係があるようにおもった。
サッカーでいちばん興奮するプレーは、
必死にゴールをままろうとする相手にむかい、
なんにんかでパスを交換しながら
スピードにのってゴールにせまり、
ディフェンダーをおきざりにして
シュートをきめる場面だ。
そのときの生理的快感から、
狩猟本能とサッカーとの関係を
わたしはつよくかんじるようになった。
狩猟はひとりでするよりも、グループで協力しながらのほうが効果的だ。
チンパンジー時代からつちかってきたこのスタイルは、
人類の遺伝子にふかくきざまれることとなる。
マラドーナのように、ドリブラーが5人ぬきでゴールをきめるより、
パスを交換して相手の守備陣形をくずしきっての
ゴールに快感をおぼえるのは、
チンパンジーのころからの、
協力しあっての攻撃という遺伝子をうけついだからではないか。
サッカーの魅力についてかんがえるとき、
なぜ人類がこの競技にすさまじい熱狂をしめすかは説明がつかない。
サッカーには、野球やバレーボールといった
ほかのスポーツではえられない快感があきらかにあり、
遺伝子にその理由をもとめるしかないとわたしはおもう。
バレーボールやバスケットボールは、
あたらしいスポーツとして理論的にかんがえてつくりだされている。
サッカーは理論ではない。生理だ。
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