短篇集『中国行きのスロウ・ボート』におさめられている。
ごく普通の日常風景なのに、
よんだあとで不思議な余韻がのこる。
「僕」が夏のあつい日に、最後となる芝かりのアルバイトをするはなし。
ガールフレンドと旅行にいくためにはじめた仕事だったけど、
彼女からわかれをつたえる手紙がおくられてきた。
お金のつかいみちがなくなったので、
アルバイトをつづける必要がないことに気づく。
というわけで、ある日の仕事が最後の芝かりとなった。
そこは50前後の女性の家で、
丁寧な仕事ぶりが彼女に気にいられる。
からだがおおきな女性で、ずっと酒をのんでいる。
声まできこえてくるのに、でも、具体的なキャストとなると、
芸能音痴のわたしには、
この女性をだれにえんじてもらえばいいか
おもいつかない。
フランス人女優でいうとジャンヌ=モローだ。
とても映像的なはなしで、ほかの場面も、
その情景をくっきりと頭にえがくことができる。
そして、この女性はなんだかかわったしゃべり方をする。
「でもあんたの仕事は気に入ったよ。
芝生ってのはこういう風に刈るもんだ。
同じ刈るにしても、気持ちってものがある」
「じゃあうちにあがって冷たいものでも飲んでいきな。
たいして時間はとらないよ。
それにあんたにちょっと見てほしいものもあるんだ」
女性は「僕」を家にあげ、
「洋服ダンスを開けてみなよ」という。
なかにはいっている服をみて、
その部屋のもちぬしが、どんな子だったかをあてさせようとする。
「僕」は、かんじたことを女性にはなしはじめる。
それで、なにかがおこるかというと、
なにもおきない。
「ひきとめて悪かったね」と女は言った。
「芝生がすごく綺麗に刈れてたからさ、
うれしかったんだよ」
といっておしまいだ。
文学がわかるひとにとっては、
タンスのなかにおさめられた服とか、
サンドイッチがすきだったという
なくなった旦那の影から
小説のふかみをたのしめるのかもしれない。
わたしには、でもさっぱりわからない。
わからなくても気になるかわったはなし、というしかない。
わたしの興味はもっと即物的で、
女性ののんでいた酒が、ウィスキーからビール、
そしてレモンぬきのウォッカ・トニックにうつったことと、
なんでそんなに酒をのみつづけるのかを不思議におもう。
このはなしをよむと、サンドイッチがたべたくなり、
ウォッカ・トニックをのみたくなる。
そして、女性のダミ声がきこえてくる。
『納屋を焼く』とともに、わたしのだいすきな短編だ。
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