週刊現代に連載されているエッセイをまとめたもので、
もう8冊目になるそうだ。
おもしろかったのが
「負け犬、十歳になりましたワン!」という回だ。
『負け犬の遠吠え』が出版されてから10年たち、
はやくよみたいとおもっていた「その後の負け犬」について
かんたんにふれてある。
酒井さんがあれだけ
「そんなことでは負け犬になってしまいますよ〜」と
注意をうながしてくれたにもかかわらず、
負け犬はあれからも着実にふえつづけ、
いまや30代前半で独身など、ごくあたりまえというご時世となった。
その間、「負け犬になりたくない」とおもっていた
20代の若者たちはなにをしていたのか。
・負け犬にはなりたくないけれど、
だれとでも結婚したいわけではない
・「良い条件の男性に多くの女性がガッと群がるという
椅子取りゲームの競争が激化」
・かといって、親や職場がお見合いというセーフティーネットを
用意してくれるわけでもない
負け犬をとりまくこれらの状況は、
けっきょくこの10年間でかわらなかった。
「十年まえはどこかで他人事だと思っていましたが、
私もあっという間になってしまいましたよ、負け犬に」
と、おおくのわかものが、なしくずし的に
負け犬になっていった10年だったと総括できる。
負け犬がなにかととりざたされるのは、
「30代未婚・子なし」が日本の人口問題に直結するからだ。
晩婚化は非婚化につうじ、少子に歯どめがかからない。
もっとも、一匹いっぴきの負け犬に人口問題の責任はないわけで、
それぞれの価値観が総体としてつくりあげる社会、という意味において
負け犬のうごきに関心がある。
もうひとつおもしろかったのが、
「高齢者は金次第、若者は顔次第」というはなしだ。
じっさいに、介護職員が「イケメン&美女」という施設があるそうで、
たしかにそれもひとつの企業戦略だと納得できる。
だれだってこのみの職員に介護されたい
「平均寿命の男女差を考えると、
高齢者の多くは女性なわけで、
老人施設はほとんど女子校状態なのです。
その時、求められるのは、イケメン職員ということになる」
わたしが介護される側になったとしたら、
容姿よりも介護技術で職員をえらぶようにおもう。
しかし、にたような能力であれば、もちろんかわいい子のほうがいい。
酒井さんは、
「今の七十代以下の世代は、
韓流ブームの洗礼を受けたイケメン好き」
と指摘する。そういった年齢層が施設利用者になったとき、
そして彼女たちがお金をもっていたとしたら、
いまよりももっと「顔」のよしあしがとわれるようになる。
わたしもひそかに老後の生活に期待していることがある。
料理や身のまわりのことをひとりでできるので、
あんがいおおくの女性に評価されるのではないか、ということだ。
残念ながらイケメンではないけれど、
それなりのプロポーションを維持し、
あそびごころのある、やわらかい頭をたもっていたら、
わるいあそび仲間ではないはずだ。
腰のすわった老美魔女には、
くいたりなくて相手にされないかもしれないが、
数でいえば男のほうがすくないわけだから、
そこそこたのしい老後のような気がする。
健康で、お金があったら、のはなしだけど。
スポンサードリンク