2013年07月17日

『あの日、僕は旅に出た』(蔵前仁一)雑誌『旅行人』が生まれてから休刊までの総まとめ

『あの日、僕は旅に出た』(蔵前仁一・幻冬舎)

2011年12月に雑誌『旅行人(りょこうじん)』は休刊となった。
20年つづいた『旅行人』の休刊は、
旅行についての、ひとつ時代がおわったことの象徴だった。
以前からこの雑誌と蔵前さんの本にひかれていたので、
休刊をしったときにはおわかれの記念として
最終号の『世界で唯一の、私の場所』と、
『コーカサス』などのバックナンバーを4冊かった。
ビンボーをうりものにした、むかしながらのバックパッカーではなく、
無理をしないで旅行をたのしむスタイルをわたしにおしえてくれたのは
蔵前さんの本だ。

本書は、『旅行人』がどのように生まれ、そだち、
そして休刊へといたったかについての記録だ。
蔵前さんの本なので、期待しながらも
それまでに発表されたエッセイのよせあつめかもしれないと、
すこし心配していた。
でも大丈夫。360ページにわたる、まったくのかきおろしだった。
しかも一気よみのおもしろさだ。
蔵前さんがどういうふうに旅行にでかけるようになり、
どうななりゆきで旅行雑誌をつくるようになったかが
年代をおってまとめられている。
本書をよんでよくわかった。
蔵前さんはやりたいことをぜんぶやったから休刊をきめたのだ。

旅行についての雑誌をつくることが
おもしろくてたまらなかったころ、
あたらしい企画をどんどんうちだし、
おもしろい記事をかく旅行者に発表する場を提供する。
うりあげをかんがえず、やりたいとおもったことを
実行にうつしていたときの蔵前さんはすごくしあわせそうだ。
目黒考二さんや椎名誠さんたちが
『本の雑誌』をつくっていった状況とかさなってくる。

チベットについてのガイドブックがたかい評価をえて、

「この本を持ってチベットを旅行した日本人が増え、
『チベットのことは日本人に訊け』と
欧米人旅行者がいっているという伝説まで生まれた」

なんてすてきなはなしものっている。

しかし時代はうつり、インターネットによる情報収集があたりまえになっていく。
そして2002から2003年にかけて流行したSARSによって
アジア関係のガイドブックがまったくうれなくなる。
それからの蔵前さんは、会社経営のむつかしさにむきあわなければならなかった。

「会社が大きくなればなるほど、
本の製作以外の仕事がどんどん大きくなっていく。(中略)
単純にいえば、動かす金額が大きくなればなるほど管理に追われるのだ。(中略)
忙しいと目の前の仕事をこなすだけで精一杯になり、
おもしろいかどうかは二の次だ。
会社を維持することが目的になっている。完全に悪循環だ」

職員をへらし、スタート時とおなじ3人の会社として整理する。
発行も季刊、やがて年二回刊となり、
そして休刊をきめる。

「できることはみんなやっちゃったよな。
アジア・アフリカを長く旅したときに
イメージしたことはだいたい表現した」

というから、蔵前さんにやりのこした無念さはない。
いつかは休刊をむかえなければならない
一代かぎりの雑誌づくりについて、
すこしはやめにやめる時期をきめたということにすぎない。
この本は、蔵前さんのこれまでの仕事の総まとめであり、
本書をかいたことで、蔵前さんは『旅行人』とのかかわりに
はっきりしたくりぎをつけた。

この本のしめくくりは
「さて、それじゃあまた旅に出ようか」だ。
蔵前さんがこれからどんなかたちで旅行をつづけ、
それを表現していくのかをたのしみにしている。

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posted by カルピス at 22:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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