挨拶として運動のことがはなされたと紹介されていた。
「最初にオバマ氏が『何か運動していますか』と尋ねると、
習氏はすぐさま『水泳と散歩をしている』と返答。
さらに『運動しなければ我々は崩壊してしまう。
こんなに(仕事が)忙しいから』と語った」
わたしは習近平氏ほどにはいそがしくないが、
それでも「運動しなければ崩壊する」、
というかんじがよくわかる。
かんがえごとをしすぎて脳がつかれてくると、
からだにある程度の負荷をかけないと
頭がおかしくなってしまいそうだ。
まあ、それはむかしのはなしで、
いまはそんなに頭をつかいすぎることはない。
崩壊する危機感からというよりも、
習慣でつづけている運動だ。
30代のころは、なんにちかにいちどは
からだがすごくかるくて、いくらでもはしれそうな日があった。
それが40代になると、はしるときはいつもいつもからだがおもい。
やがて、かってのようなキレキレの日は
もういくらまってもこないことがわかってきた。
調子がわるいというより、
からだがおもいのがあたりまえ、というかんじだ。
きょうはだるいなー、というより、
だるいのを当然の前提としてうけいれ、
とにかく運動をスタートさせる。
脳はいろんないいわけをしてくるので、
いちいち脳のうったをきいていたら
たのしく運動できるコンディションのときなど
いつまでもめぐってこないからだ。
水泳でもおなじで、およぐまえ、およぎだしてしばらくは、
しんじられないくらいからだがおもい。
習近平氏は悠然と横およぎなんかをしてそうだけど、
わたしはくるしまぎれに手足をうごかし、
うつくしくないフォームなのが自分でわかる。
かえるころになるとやっとからだが目ざめてきて、
なんとかきょうも無事におえた、ということのくりかえしだ。
以前できたことにだんだんからだがついていけなくなり、
やがてはそれをからだと頭がうけいれる。
老化とは、そいいうことのつみかさねだということが、
このごろなんとなくわかってきた。
脳がもっているわかいころのイメージが
いつまでも現実とのおりあいをつけれないのはこまったものだ。
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