朝ごはんをたべるとすぐ職場へむかい、
仕事をおえて家にかえっても
ほとんど自由になる時間がなくなった。
はたらくだけのために生きているような気がして、
あと◯日、と9月がくるのをまちながらの味けない毎日だ。
そうなると、のんびりすごせたときにはやらなかったくせに、
夏の100冊を全部よみたいとか、
ぶあつい古典にとりくむとか(こういうとき頭にうかぶのは、
いつもトーマス=マンの『魔の山』だ)、
外国語の勉強をはじめるとか、
のんびり映画館のシートにすわる、なんてことがしたくなってくる。
いそがしくなると、
時間があるときにはやらなかったことをしたくなるという、
あまのじゃくな心理になりやすいのではないだろうか。
こんなときこそすこしはやおきして、
朝のうちにそれらのことをたのしめばいいのに、
そういうことはかえたくないのだから
ただのわがままでしかない。
勤務時間がながくなったといっても、
社会人はふつうこの時間帯で生活しているわけで、
それを「はたらくだけのために生きている」なんて自己憐憫がすぎる。
とはいえ、いまさら自分がなまけものであることを
反省したふりをしてもしょうがないので、
いかにたのしくあと3週間をのりきるかを工夫したほうがいい。
まずごほうびを設定する。
まえむきな気もちでのこりの3週間を仕事にとりくんだら、
◯◯を自分にプレゼントするときめる。
春やすみがおわったときにキンドルペーパーホワイトをかったし、
そのまえのごほうびはMacAIRの11インチだった。
物質的にはもうそんなにほしいものがないので、
いちばんわたしが意欲をかきたてられるごほうびはというと、
12月にモロッコでおこなわれるクラブWカップということになる。
いそがしい時期である冬やすみに
なんにちもやすむわけにいかないのなら、
サッカーをからめないただの旅行、ということになるだろうか。
外国ばかりをねらうのではなく、
まだいったことのないところ、たとえば石垣島でもいい。
とにかくいったん日常をはなれて気分をかえたいところだ。
よくかんがてみると、旅行はてっとりばやいたのしみではあるけれど、
リセットするにはなにも旅行という形をとる必要はない。
なんにちかやすみをとって、
夏の100冊のうちの10冊にいどむ、とか、
なんども挫折している『魔の山』をよみおえるのも
いそがしい時期にはなかなかできないとりくみだ。
有給休暇を計画的につかい、日ごろできない活動にあてるのは
有益な体験となるはずだし、そうした経験が仕事にもいきてくるだろう。
ごほうびが具体的になると、あそ3週間のいそがしいシーズンも
ありがたいかきいれどきにおもえてくる。
仕事を、あるいは生活をおもしろくするのは自分の工夫しだいだ。
わたしが大切にするのは「自由」と「あそび」で、
それをごほうびに設定すれば、
もうしばらくははたらけるかもしれない。
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