樋口毅宏氏の『さらば雑司ケ谷』に
本筋とは関係ないはなしを延々とつづける場面がある。
タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』を意識したのだそうだ。
映画の冒頭、これから銀行をおそおうとする6人の男たちが、
レストランで朝食後のコーヒーをのんでいる。
くつろいだ雰囲気でこれからの仕事とはまったく関係のない、
たとえばマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」がどうのこうのと
「まじめ」にはなしこんでいる。
『バルプフィクション』でもそうだった。
2人のギャングが、仕事にむかうとちゅう
フランスのマクドナルドについて世間話をしている。
フランスではマクドナルドで酒をだすんだ、とか
ビッグマックをフランス語でどういうかしってるか?とか
緊張感などすこしもかんじさせず、
どうでもいいことを真剣に論じている。
このカジュアルさがかっこよかった。
『さらば雑司ケ谷』では、それがタモリのはなしだった。
小沢健二が最高のミュージシャンであるという理由に、
タモリの発言を引用する。
その場面のはなしが本筋とは関係ないのが
『レザボア・ドッグス』といっしょで、
それがすごくおかしい。
もっとも、このしかけにはおおくのひとがひっかかったようで、
「このエピソードが以上にウケたようでして、
書評では決まってこの箇所を取り上げて頂きました」(樋口)
ということだから、わたしもまんまと樋口毅宏氏の
おもわくどおりに反応してしまったわけだ。
このときの「タモリ」がきっかけで、
「タモリについて一冊書きませんか」
と依頼されたのが本書である。
樋口氏は、
「笑いについてするものは賢者だが、
笑いについて語るものは馬鹿だ」
というおもいから、
これまでお笑いについてかかなかった。
しかし、
「タモリについて語るということは、
同時にこの時代のお笑いについて語ることであり、
それはすなわち、ビートたけし、明石家さんまを含めた、
いわゆる『お笑いBIG3』についても
避けてはとおれないことを意味します」
わけで、どうしてもお笑いにふれないわけにいかない。
また、
「タモリへの積年の思いを
洗いざらい吐露したいという気持ちがあ」り、
今回、タモリとお笑いへの思いを一冊にまとめるために、
よろこんで馬鹿になる覚悟をきめたのだそうだ。
こういう本をかくくらいだから
樋口氏はタモリ、そして「いいとも!」についてかなりくわしく、
いろいろなおもいでにふれたのが
第二章「わが追憶の『笑っていいとも!』だ。
伝説となっている「いいとも!」の事件を紹介し、
そのなかでタモリがどういうリアクションをとったかにふれている。
とはいえ脱線しまくってばかりで、
こんなこともあった、あんなこともあった、と
いろんな事件がそのときのゲストとともにかたられる。
このとらえどころのなさこそ「いいとも!」の真骨頂であり、
タモリの醍醐味である、と樋口氏はとらえている。
いつもいつも、おなじことが延々と30年つづいており、
「たとえ数年ぶりだとしても、まるっきり変わらず、
いつもの軽ーい感じ」。
それこそが「いいとも!」のすごさなのだ。
第三章はたけし、四章はさんまについてだ。
たけしとさんまのそれぞれの芸風をおさえたうえで、
タモリとたけし、タモリとさんまの関係が分析している。
「たけしと『いいとも!』は無関係ではありません。
たけしは『いいとも!』に背を向けることによって、
自分の生きるべき道を突き進んでいったのです。
タモリが『いいとも!』をやることによって
たけしは北野武になったのです」
さんまについて。
「僕は序章で、タモリを絶望大王と書きましたが、
本当は違うのです。
さんまこそが『リアル絶望大王』なのです。(中略)
タモリが赤塚不二夫の弔辞を吹聴することがないのと同様、
さんまも不幸で人の涙を搾り取ることを良しとしません
なぜか?それが彼らの美学だから。
お涙頂戴ほどこの世で簡単な、
そして低俗なやり口はないと知っているから。(中略)
さんまの一生は、死で縁取られてきた人生かもしれない。
それでもさんまは、きょうも人を笑わせます。(中略)
さんまは、この世で人をわらわせることほど
素晴らしい職業はないと思っているし、
自分が生まれた理由も、疑ったことがないから。
さんまがいちばん笑わせたい人は、自分自身なのではないでしょうか」
第六章は
「フジテレビの落日、『いいとも!』の終焉」だ。
30年つづいてきた「いいとも!」が
このさきどうなっていくかについて、
樋口氏は「終わりの始まり」をかんじている。
「いいとも!」の視聴率は平均6%にとどいてないし
フジテレビがつくる番組のひどさから「凋落の兆し」をみる。
そうなっても、なぜタモリは「いいとも!」をつづけるのだろう。
「おわりに」は、樋口氏がどれだけタモリを愛しているのか、
よくあらわれている。
そして、すごくかなしい。
「小説家になるずっと前から、僕は夢想していました。
『テレフォンショッキング』のゲストに出て、タモリを襲うのです。
そして彼を、『いいとも!』から自由にしてあげるのです。
だけど、そんなことができるわけがない。
だから僕は、タモリを葬る代わりにこの本を書きました。
僕とタモリと『笑っていいとも!』。
そして、BIG3に通底する悲しみを。
タモリが、思い出になる前に」
どんなかたちでXデーをむかえるにしても、
タモリが30年もわらわせてくれたことを
わたしは絶対にわすれない。
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