2013年08月20日

日本農政の失敗と、箱の底のほうからくさっていくミカンの関係

温暖化でリンゴがあまくなったということが
新聞にのっていた。
スイカやメロンじゃあるまいし、
あまさがますことと、おいしくなることとは、
リンゴにはあんまり関係ないはずだ。
紅玉のようにすっぱさをうりものにする品種もある。
温暖化があたえるさまざまな影響が、
こんなところにもおよんでいるのが意外でしょう?
というニュアンスに、つい反発したくなった。

リンゴというといつもおもいだすのが
大学の授業での「リンゴがおいしくなかった」はなしだ。
農学部にぞくしていたわたしは、ある講義で
「日本の農政はリンゴをさかんに奨励しましたが、失敗でした」
というはなしをきいた。
なぜだろう?と、つづく説明をまっていたら、
なんと「リンゴがおいしくなかったからです」ということだ。
なにかよほど複雑な事情があったのだろうと
まじめにきいていたのに、カックンとなってしまった。
でもこれは、きっとまじめなはなしなのだ。

えらい役人が頭をしぼって(しぼったんだろうな)
つくりあげた政策でも、
けっきょくのところかってもらえなければどうしようもない。
でも、その理由は「おいしくなかったから」だけではないだろう。
日本人の食生活とのかねあいとか、
アップルパイをたべないから、とか
皮をむくのがめんどくさかったから、とか
いろいろな理由があろうだろうに、
それをただ「おいしくなかったから」と
いいきってしまう教授のとらえ方におどろかされた。
それぞれの作物にはそれぞれのおいしさがあるはずで、
リンゴだけが「おいしくない」わけではない。
そんな政策ではうまくいかなくて当然だし、
その程度の認識でリンゴを奨励したというのも無責任なはなしだ。

最近よんだ本に、日本農政はミカンでも失敗したとかかれている。
ミカンを奨励したにもかかわらず、需要はあまりのびず、
それにオレンジやグレープフルーツの輸入自由化がおいうちをかける。
政府のいうことをしんじてミカン栽培をはじめた農家はたまったものではない。
しかし、農政の失敗の歴史をみると、
そんなことをうのみにしてミカンをつくるほうがどうかしてるのだろう。

ミカンでおもいだすのが、
中学生のときの社会科のテストだ。
「和歌山県のミカン栽培の問題点をあげなさい」
という問題で、
答案をかえすとき、おもしろい答案例を先生がよみあげる。
そのひとつが「箱の底のほうからくさってくる」というものだった。
たしかに箱の底のほうからくさってくるのは問題だけど、
当然のことながらそれは和歌山県のミカンだけにかぎられた現象ではない。
きいたときはみんな爆笑したけど、
よくかんがえると含蓄のあるはなしではないか。

正解は、和歌山県のミカンはふるい木がおおく、
これからさきの発展がむつかしい、というものだった。
教科書にのっていたかもしれないし、
授業でもおさえられたのだろう。
でも、じっさいにミカンをつくったことのないわたしたちが、
もしかりにそんな正解をかいたとしても
それは和歌山県のミカンについてただしく理解したからではない。
ふかくミカンとかかわることなにし、
そうした設題をするほうがどうかしてるし、
「木がふるく」なんてもっともらしくかくほうも
もしいたとしたら、そうとういやな生徒だ。
「箱の底のほうからくさってくる」という回答のほうが、
ずっと味わいぶかい。
なにしろ「箱の底のほうからくさってくる」のだから
絶対にまちがいではないのだ。
ビミョーにずれていて、トホホ感にあふれている点も
たかく評価したい。

もうずいぶんまえのはなしだ。
あれから和歌山県の方々は、
どういう対応をとられたのだろうか。
政策に左右されず、いいミカンをつくっていてほしいとおもう。
ひょっとすると、箱の底のほうからくさらないミカンが
すでに開発されたかもしれない。

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posted by カルピス at 18:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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