2013年08月23日

わたしは、吉田くんよりも総統に似ていることに気づいた

「ビットワールド」ではときどき鷹の爪スペシャルをやっており、
これまで放映した作品をまとめてみることができる。
もうみた内容なのだからスルーすればいいのに、
せっかく録画したのだからとまたみなおすことになる。

苗字がおなじだからと、わたしは自己紹介のときよく
鷹の爪の戦闘主任である吉田くんの名をかたっているけど、
この作品をみているうちに、
わたしは吉田くんというより総統キャラなのに気づいた。
それだけえらい、といっているのではなく、
総統みたいに役にたたない存在、という意味であり、
より正確にかけば、総統によく似た役割だけど
求心力はないただのひと、がただしい。

吉田くんはああみえて判断するスピードがものすごくはやく、
ためらうということがない。
相手への発言もまんなかのストレートであり、
ああでもない、こうでもないと
モンモンとかんがえこんでしまうわたしとはまるでちがう。
吉田くんの名をかたるのは、一種の「あこがれ」であり、
あんなふうになれたらいいな、という心理がつねにはたらいている。

いっぽう、総統の小泉鈍一郎氏は、
世のなかの総統はきっとこういうマントをきてるんだろう的な、
それっぽい服装をしているけど、
とくになにかの専門知識があるわけではなく、
かといって総統らしく全体を俯瞰する能力に
すぐれているわけでもない。
吉田くんやレオナルド博士がひきおこす事件に
なさけない声でリアクションをしめすだけだ。
「わー」とか「なんじゃねそれは!」とかいうだけ。
そこが決定的に自分の本性をいいあてられた気がしてきた。
ながいあいだひとつの業界で仕事をしながら、
中途半端な知識しか身についておらず、
ひとことでいって「つかえない」わたし。
わたしが総統キャラだと自負するのは、
なんとなくそれっぽい顔をして職場にいると、
知識や能力とは関係なくまわりがそれなりにあつかってくれるからで、
ようするに年齢がいちばんうえ、
ということが評価されているにすぎない。
中身よりも雰囲気が大切なのだ。

総統の名誉のために客観的な事実を指摘しておくと、
総統は、このひとがいるという存在感だけで、
鷹の爪団の活動がつづいているのだから、
象徴としてのじゅうぶんな役割をはたしているといえる。
総統とは、つまりそういうものなのだ。
ひとつひとつの事案について、
いちいち適切な判断をくだすのが総統の仕事なのではなく、
組織の象徴としていつもそこにいることが
唯一、そして最大の役割である。

そういう意味では、わたしは総統キャラを名のる資格さえないが、

・中身がないこと
・リアクションだけ
・事実よりも雰囲気がだいじ

という3点において
わたしは吉田くんより総統似を自覚したほうがいいと気づいた。
55歳という小泉鈍一郎氏と同年代の男性が「鷹の爪」をみたら、
総統のトホホなやくわりに
ものすごく共感させられるのではないか。
中高年男性のおおくは総統のように中身がなく、
でありながら総統のように組織のシンボルでありたいとねがっている。
「カワイイ」と世界中から評価のたかいアニメキャラよりも、
あらゆる意味において総統は日本人男性であり、
総統的な心理を理解することがいまや日本研究にかかせなくなった。

スポンサードリンク



posted by カルピス at 22:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 鷹の爪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック