2013年08月26日

神さまのアレンジ

職場から2人の子(中学生と高校生)をつれてプールにでかける。
土日にふった雨のせいで、きょうは30℃前後の気温しかなく、
水につかっていてもあまり「ホッとひといき」感がない。
どことなく秋の気配さえかんじられる。
30分ほどでプールからあがり、ジャグジーであたたまった。

しばらくして更衣室にむかおうとすると、
それまで幼児用のプールであそんでいた
小学生の男の子グループもかえろうとする。
まるでうちあわせたかのような、ドンピシャのタイミングで
彼らはわれわれのちょっとさきをゆき、
さきにシャワーと更衣室を占領されてしまった。

それまでながい時間あそんでいたくせに、
なんでわれわれがかえるのにあわせたみたいに
彼らもプールからあがったのか。
あまりにも間がわるく、だれかが調整したとしかおもえないタイミングだ。
何時何分にプールからあがろう、と
綿密なリハーサルをしたとしても、こううまくはいかない。

似たようなことがまえにもあった。
そのときもやはりプールにでかけたときのことで、
わたしたちがきがえているところに
数人の親子づれがドヤドヤとはいってきて
わたしたちのむかいのロッカーをつかいはじめる。
たまたまわたしのつれがプールかばんをイスからおとしたら、
きがえおわった親子づれが、そのかばんもいっしょに自分たちのロッカーへいれ、
またドヤドヤと更衣室からでていきプールにむかった。
まちがってかばんをいれたことに、そのときはだれも気づいていない。

自分のプールかばんがみえなくなったわたしのつれは、
障害の特性から すごく混乱してしまい、
プールをたのしむどころではなくなった。
どこをさがしてもみつからないので、
もしかして、と親子づれのロッカーをしらべてもらうと、
たしかにそこからプールかばんがでてきた。

そのときも絶妙というか、ありえないほど最悪のタイミングだったのだ。
もうすこし時間がずれていたらプールかばんがまぎれることはなかったのに、
みごとなタイミングで親子づれがあらわれた。
なぜ、こういうことがおこるのだろう。

逆のこともたまにはある。
ありえないタイミングでなにもかもがうまくまわり、
きれいにはなしがまとまっていく。
いくつかのぜんぜん別なうごきが、なぜかうまくかみあい、
だれかがおぜんだてしてくれたとしかおもえないような、奇跡的なできごと。

みみっちい例ばかりでもうしわけないが、
わたしはこういうときに神さまの存在をおもう。
あまりにも不思議なちからをかんじ、神さまの名はしらないけれど、
なにかの神さまがアレンジしたとしかおもえない。

河合隼雄さんの本で、こうした「アレンジ」のことをよんだことがある。
シャワーをさきにあびられてしまった、みたいな
どうでもいいようなはなしではなく、
あるひとがなにかの対象にむかい全力をかたむけたときは、
説明できないような不思議なちからがはたらいて
最終的にはものごとがうまくおさまることがおおいという。

たかだかおなじタイミングでプールをでたぐらいで
「アレンジ」などというのもどうかとおもうが、
でもやはりきょうのできごとには神さまのアレンジを
かんじずにはおれなかった。

職場にもどろうと、とめてあった車のドアをあける。
ムアーとするなんともいえない熱風を予想していたら、
車のなかはそれほどあつくなっていなかった。
もう秋なのだ。
おもいがけず秋になったことと きょうのアレンジとは、
なにか関係があるような気がする。
だからこそ、あんなおかしなことがおきたのだ。

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posted by カルピス at 20:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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