2013年09月15日

オリンピックの準備を7年前からはじめる日本の独自性

ラジオのニュースで2020年開催がきまった東京オリンピックについて、
7年後にむけて競技会場の整備がはじまったことをつたえていた。
テニスコートを整備して、客席をふやすこと。
夏のあつさにもまけない芝生を数年かけてそだてること。
晴美埠頭で爆発物がみつかったという想定での訓練。
開催がきまったばかりで、
まだ7年もあるのにもう準備をはじめるなんて、
日本人はなんて勤勉なんだろう。
こんなにはやくテロ対策をされると、
テロ組織だってさすがにこころがおれるだろう。
なにかの冗談だとおもったかもしれない。
むかしから、前回大会の1964年大会のときから
日本はこうだったのだろうか。
オリンピック委員会が日本をえらぶわけだ。

まだ7年もさき、という発想がよくないのだろう。
7年後なんてあっという間にやってくる。
夏やすみの宿題とおんなじだ。
ブラジルのひとたちも、きっとそうおもったのだとおもう。
きっとあの国では開催がきまったときに
ものすごくもりあがっておいて、
じっさいの準備にはなかなかとりかからなかったのではないか。

わたしはどっちかというと
ブラジル型の「テキトー」にひかれるけど、
じっさいにそののんびりさの被害にあえば
日本的な勤勉さがなつかしくなるのだろう。
間にあわなければ恥だ、
選手にはずかしいおもいはさせられない、
という日本的な価値観は、
わたしにも骨の髄までしみついているとおもう。
奥田英朗の『オリンピックの身代金』には、
東京オリンピックの開催にむけ、地方からでてきた労働者が
過酷な突貫工事にかりだされるようすがえがかれている。
ブラジルのひとがこの本をよんだら、
どんな感想がでてくるだろう。
こんなにもちがった反応がでるのは
日本人のオリンピックずきとも関係がありそうだ。

べつのニュースとして、国土交通省が道路案内標識について
ローマ字表記をとりやめ、英語に統一すると発表した。
これもきっとオリンピックの準備に関係するうごきだろう。
この変更で、「Eki」は「Sta.」に、
「Dori(通り)」は「Ave.」へと、
かえられることになる。
「☓☓通り」を「☓☓Dori」なんてかかれたら、
だれだってわからない。
そもそもこの案内標識は、
だれの便利をかんがえてしめされていたのだろう。

標識は、日本語とアルファベットの両方で表記することが
省令できまっており、
現在はローマ字と英語がいりまじっている。
どちらにするかは自治体にゆだねられているのだそうだ。
「外国人から『ローマ字表記はわかりづらい』と苦情がでていた」
というけれど、「外国人」って、だれのことなのだろう。
ローマ字は、アルファベットをつかって日本語をかくしくみだ。
ある特定の外国人にわかりにくいからといって、
ひとつの言語に統一してしまうのはずいぶん乱暴な判断である。
英語だけを特別あつかいする、なにか理由があるのだろうか。
こういうときにこそ、右翼の方々にがんばって
日本語をまもってもらいたい。

民族学博物館の館長として、梅棹忠夫氏は、
館内の標識に英語をとりいれようとするひとたちにたいし、
「アメリカの博物館が標識として日本語をとりいれますか?」
とはねのけたという。当然の判断である。

オリンピックの準備をつたえるニュースに
外国のひとびとはおどろいたにちがいない。
7年前から準備をすすめようとする国が、
世界のなかにはあったのだ。
この日本の独自性が、欧米だけの顔色をうかがうのではなく、
いいかたちで発揮されることをねがっている。

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posted by カルピス at 13:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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