2013年09月23日

『エコノミカル・パレス』(角田光代)これがほんとうのフリーター文学

『エコノミカル・パレス』(角田光代・講談社文庫)

フリーター文学というのだそうだ。
お金がなく、さきもみえないトホホな生活は、
どのようにしてはじまり、どこにいこうとしているのか。

34歳の「私」は雑文をかいて得るたいしてあてにならないお金と、
ビストロでのアルバイトで糊口をしのいでいる。
いっしょにくらしている年下のヤスオは
「タマシイのない仕事はしたくない」と
はたらくのをやめてしまった。
すぐにもらえるとおもっていた失業保険は
なぜだかそう簡単には手にはいらない。
あついさなかエアコンがこわれ、修理してもあたらしくかっても
予定外の出費になりそうだ。
国民保険の滞納が毎月確実にふえていて、
29万3050円にもなったと督促状がしらせてくる。
家賃がはらえずに、サラ金でお金をかりるようにもなる。

「今レジで私が払おうとしているパンや発泡酒の代金は、
いったいどうなるのだろう。
考えているとじっとしているのが苦痛であるほどおそろしくなってきて、
私はレジの順番を抜け、冷蔵棚から自分のぶんの発泡酒を四本追加して
ふたたびレジに舞い戻る」

かきうつしているだけで、おしりがこそばゆくなってくるような
さきのみえない不安な状況だ。
こんな生活になってしまうまえに、
「私」とヤスオはアジアの国々を旅行したことがあった。

10年前、バブル時代の東京にはいくらでも仕事があり
バイトにこまることはなかった。
「労力が必要とされないのに給与だけはいいアルバイト」
ばかりだ。
しかし、そうしたうすっぺらな世の中と
そこにいすわっている自分たちの生活にたえがたくなり、
ふたりは貯金を全部トラベラーズチェックにかえて、
シンガポールへとびたった。

「ミャンマー、べトマムへと旅は続いた。
どこにでも私たちと同じ風体の日本人旅行者がいた。(中略)
そのように日本を飛び出し
アジアを放浪すること自体が日本の流行で、
私たちもその尻馬に乗っただけなのだが、
そのときはもちろんそんなことは思わず、
まともな神経を持っていればだれだって
東京ラーメン番外地化した国に疑問も持たず
居続けられるはずがないと、
至極まじめにその状況に納得した」

しかし、目的のないかれらの旅が状況を劇的にかえることはなく、
日本にもどってはじめたのが、冒頭にあげたトホホな生活だ。

お金を節約するために何軒ものスーパーをはしごしながら、

「あの日々を自由と呼ぶのなら、
今現在、お好み焼きの材料をそろえるのに
三軒ほどの商店をぐるぐるまわって
値段をたしかめているこの不自由な状況は、
その自由から派生したことになる」

という不条理がすごくおかしい。

雑文がきとビストロでのアルバイトにくわえて
カラオケスナックでもはたらくようになり、
さらにランジェリー・パブはどうかと検討する。

「ブラジャーとパンツだけ身につけて、
全身鏡の前に立つ。
ブラジャーはレースがほつれているし、
パンツは色あせているが、
それらのくたびれた下着は私の裸体によく似合っている。
胸の下からパンツのゴム部分にかけての
胴部分にくびれがまったくなく、
布地をまとったように肉がだぶつき、
長いこと陽の光にさらしていないために
不自然なくらい白い。
腕を広げてみると二の腕の肉が
重力の法則に従って床に垂直にたれる。(中略)
醜い」

34歳はもうわかくはない。
お母さんはあいかわらずわけのわからない電話をかけてくるし、
ヤスオのテキトーさもいまさらどうにかなるものではない。
さきのみえないのはあいかわらずで、かといって
また外国へにげだすわけにいかないのはよくわかっている。
「私」は二十歳の男に好意をよせ、彼のためにお金をためる。
でも、彼からはばかにするなとなじられてしまった。
いったいこれからどうなるのか。
トホホ感はどこまでもつづき、
すくいのないまま、どこにもたどりつかずに
ものがたりはおわっている。

めでたし、めでたしでおわるフリーター小説はないのだろう。
不安だからこそのフリーター小説であり、
あかるかったら逆にウソくさい。
コンビニで発泡酒をかうお金はあっても
来月の家賃がはらえないかもしれない。
仕事がまったくないわけではないけど、
「タマシイ」のある仕事はみつからない。
不安定でお金のない生活は自分があえてえらんだものだ。

ヤスオとちがい、「私」にははたらく意欲がある。
現実的に必要なお金をかせぎ、生きていくことができる。
自分のくいぶちは自分で確保していくたくましさを「私」はもっている。
それができればフリーターだろうがなんだろうが
けっきょくどの生きかたもおなじようなものなのだ。

「どのように割に合わなくても、
どのように仕事が減っても、
決して雑文書きの仕事はやめまい、とつよく決意する」

さえないことだらけで、いいことはほんのすこしだ。
だれもがそうやって生きていくしかない。
最初から最期までトホホだったけど、
生きようとする「私」の生活力が気もちよかった。

スポンサードリンク



posted by カルピス at 13:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 角田光代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック