2013年09月27日

清水英斗「ザックジャパンから見える日本人の社会性」

ザックジャパンから見える日本人の社会性
として清水英斗氏が「sports navi」に記事をよせている。

以前から、日本人選手がここぞというところで
シュートをうたずにパスをしてしまう消極的な姿勢が
批判されてきた。
清水氏は、そうした日本人選手の特性は、
社会性があらわれたものであり、
わるい面ばかりではないことを指摘している。

「日本のスーパーマーケットに見られる
テキパキと手際の良いレジ打ち」
を例にあげ、
「日本社会における勤勉さと、
ザックジャパンの全員プレッシングには文化的な共通点が多い」
という。
たしかに、何代にもわたって日本社会でくらすうちに、
わたしたちの頭とからだには日本的な価値観がしみこんでおり、
「とにかくオレがシュートをうつ」というプレーが
そうかんたんに身につくとはおもえない。
よくもわるくも日本人気質が
日本人のサッカーにおおきな影響をあたえている。

「日本の社会が、果たしてシュートを
バンバン打ちたくなるような仕組みになっているのか」
「いきなり『積極的にシュートをしろ』と言われても、
体に刻み込まれた習慣は簡単には変わらない。
パスをしているほうが気持ち良かったのだから。
むしろ、シュートを打たない日本人の姿のほうが、
社会の現在地を正確に表しているようにさえ思える」

「オンとオフを切り替えられず、
ダラダラと長時間トレーニングしたり、
あるいは朝から深夜まで働き、能率の悪い状態で
いつまでも会社に残って残業をしてしまう毎日。
ついメリハリの利かない生活を送って疲弊してしまうわれわれと、
肝心なところで集中力を発揮し切れず、
ゲーム運びが拙くなる日本代表は、
決して無関係とは言えないのではないだろうか」

サッカーだけがつよくなることはありえず、
その社会を鏡としてうつしだすしているのがサッカーという
おもしろいとらえ方だ。
日本人の勤勉さをいかし、「協調性、持久力、
俊敏性に優れ」たサッカーをしても、
「オンとオフを切り替えられ」ないという
また別の日本人気質によって集中力を発揮できずに
失点してしまうのであればせつないはなしだ。
でも、それがいまの日本のちからであり
しょうがないとおもうしかない。

清水氏は、第2章の副題として「サッカーは人生の縮図」
とかかげている。
人生だけでなく、「社会の縮図」ともいえる。
それぞれの国のサッカーは、その国の美意識があらわれている。
おなじプレッシングサッカーをえらんだとしても、
スペインと日本のそれは微妙にちがってくる。
技術の差、歴史のちがいだけでなく、
社会が大切にしている価値観・美意識が
プレーにあらわれる。
日本人の美意識からはずれたプレー、
たとえばマリーシアとよばれるずるがしこいプレーでは、
たとえWカップのベスト4にのこっても、
おおくのサッカーファンにとって
「ほこらしい」プレーとはうつらないはずだ。

「ザックジャパンは、
ブラジルで新しい日本人像を見せてくれるのだろうか」
と清水氏は記事をむすんでいる。
国民性からはずれたプレーが
短期間につくりあげられることはない。
ブラジルで「新しい日本人像」がみられるとしたら、
その芽ばえは、すでにどこかで
形をあわらしていることになる。
レジをテキパキとこなせる能力や、
いちにちで宅急便がとどくしんじられない組織力がそだてる
あたらしい日本人像に期待したい。

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posted by カルピス at 23:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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