よみはじめてしばらくは、かるいエッセイだったのに、
べつの章にはいると冒険論や雪崩にあった体験記となる。
「富士山登頂記」では、とくに登山をしそうにない若者が
なぜ富士山をのぼるようになっているのかという、
社会現象をとりあげる。
そのどれもがおもしろかった。
これまでよんだ角幡さんの本は、
『空白の5マイル』は力作とみとめるけれど、
『雪男は向こうからやって来た』となると、
さんざん読者をじらしながら、あの結末はないだろう、と
批判的にみていた。
正確にしるそうとする角幡さんの文体が
わたしにはあわないようにおもった。
でも、この本での角幡さん
いつも沈着・冷静でいる超人的な冒険家ではなく、
わたしとおなじよわさをかかえたひとりの青年だ。
角幡さんはツアンポー峡谷での冒険のために、
5年間つとめた新聞社での仕事をやめる。
「先が見えない人生を求めていたくせに、
本当に先が見えなくなった時、
私はビビったのだ」
「引っ越した日のことは今も忘れられない。
段ボールが積みあがった殺風景な部屋の中で、
私は布団にくるまりながら
不安と孤独に押しつぶされそうになっていた。(中略)
私には生きていける自信など微塵もなかった。
ただ、恐ろしくて、布団の中で
がたがたと震えていた」
と、ご自身の経歴を、カッコつけずにあかしている。
本書は角幡唯介の「旅立ちの記」でもある。
「実は冒険がノンフィクションに適さない理由」では
「あらゆるトラブルに対処できるように計画を作る。
そのために予想を裏切る体験というのはなかなか起きないし、
もし実際に起きたら、(中略)それはかなりの確率で
遭難と呼ばれるものを指しているのだ。(中略)
しかし遭難は狙ってできるものではないし、
狙ってしてはいけないものでもある」
と、現代における冒険で
ノンフェクションをかく矛盾についてあきらかにし、
「富士山登頂記」では
「私は自分がある種の病気であると思っている。
そして申し訳ないが、
あなたもある種の病気であると思っている」
「ここで言う病気とは、身体性が喪失してしまった現象を指している。
現代の日常生活では、身体を使って世の中を知覚する機会が激減したため、
私たちはそのことに苦しんでいる。
大勢が富士山に登りたがるのは、
無意識のどこかで身体性の回復を欲しているからなのではないだろうか」
と、現代日本の世相について分析する。
角幡さんはトレーニングで皇居のまわりをあるいているときに、
わかくてうつくしい女性がたくさんはしっていることにおどろく。
「一体何がそんなに不満なんですか?
と私は彼女たちに訊いてみたくなった。
世の中うまくいってるじゃないですか。
会社だってひとまず倒産の心配はないし、
そこそこイケメンの彼氏だっているんでしょ。
定期的に女子会を開いて人間関係の憂さもはらせるし、
化粧等の技術も発達したから
三十になっても四十になっても
肌はプリンプリンじゃないですか。(中略)
みんなぐるぐるぐるぐると無言で皇居の周りを
走っているのである。
明らかに変な光景だった」
「富士山の頂上に登った時、
私にはそこが現代人のサナトリウムのように見えた。(中略)
この人たちの病根は自分と同じである。治療の方法はない。
富士山に登っても、チベットを体験しても、
生感覚は完全に充足されない。
病巣を取り除くことができないまま、
私たちは生きていくのである」
「グッバイ・バルーン」では、
熱気球で太平洋横断をめざした
冒険家の神田道夫さんをとりあげている。
神田さんは、それまでに北アルプスごえ・
本州横断飛行・高度世界記録樹立・ナンガパルバットごえと、
しだいに難度をました冒険にとりくみ、
太平洋横断にたびだったままかえらぬひととなった。
「目標そのものが、目標というよりも、
達成しなければならないというふうに
自分を追い込む強迫観念になってしまい、
それを断念することが自分の弱さの露呈であるような気がして
永久に逃れられなくなってしまうのだ。
そして次から次へと目標が困難かつ巨大にエスカレートしていき、
必然的に死に近づいていく」
なぜ冒険をするのか、なぜ自分はこう生きるのか。
本書は、冒険をめぐるさまざまな現象について
分析をこころみたすぐれた冒険論だ。
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