講師のカーチャさんが、
ロシア映画のはなしをしていた。
ひとりの女性をめぐる男たちのものがたりのようだ。
4人の男がいて、そのひとりひとりについて
カーチャさんがキャラクターを説明する。
3番めの男は
「目をそむけたくなるほど、なさけない男だったのです」
と紹介される。
カーチャさんのたどたどしくて、かわいらしい日本語で、
「目をそむけたくなるほど、なさけない男」
ということばがはなされると
すごくおかしかった。
「目をそむけたくなるほど、なさけない男」
とは、どんな男なのだろう。
番組のとちゅうで用事がはいったので、
具体的な「なさけなさ」はききそびれた。
それにしてもずいぶんインパクトのある表現だ。
以前、宮崎駿さんが
「文章は形容詞からくさってくる」と
なにかにかいておられた。
形容詞にたよっていると、
たとえば「日本の誇るゼロ戦」などという、
根拠のない紋切り型のことばに無神経になってしまう、という文脈だった。
それ以来、できるだけ形容詞をつかわない文章を意識するようになる。
といっても「基本方針は」ということで、
形容詞をギリギリにけずった文章は、そうかんたんではない。
すこしまえの「ほぼ日」に、糸井重里さんが
それまで形容詞を「あんまり重要じゃないもの」
としてとらえていたけれど、
「ぼくが大事にしてきたのは、
案外『形容詞』のほうだったのかもしれない」
とかかれていた。
「いろんなことの判断をするときに、
『あたたかい・やわらかい・かるい・あかるい』を、
選ぼうとしてた」
かならずしも文章における形容詞ではないにしても、
これもまた新鮮な視点だ。
カーチャさんの
「目をそむけたくなるほど、なさけない男」
は、ただ単純に「なさけなさ」を強調したのだろうけど、
ことばのおもしろさって、形容詞なのかも、
とカーチャさんのはなしをきいているとおもえてきた。
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