2013年11月30日

人類の生活様式のうつりかわりと、サッカーとのアナロジーは可能か

Jリーグもあと2節となり、優勝をめぐってはげしいあらそいとなってきた。
セレッソ大阪と鹿島アントラーズの試合をみていると、
どちらもひきわけでは優勝の可能性がきえるということで、
試合開始からおたがいにはげしくせめたてる。
前半のうちにアントラーズは大迫、セレッソは柿谷と、
両エースが点をとりあうというみごたえのある試合となった。

試合をみながら、ふとおもいついた。
わたしはいつからこうやって、
Jリーグの試合をみるようになっただろう。
はじめてサッカーをみるようになったのは、
Wカップが日本でおこなわれた2002年にさかのぼる。
つぎの2006年ドイツ大会も日本戦だけをみるミーハーファンだ。
そのあとWカップだけでなく、ほかの代表戦もみるようになり、
やがてJリーグ、そして外国のリーグへと、
サッカーへの関心をひろげていった。

このうつりかわりは、人類の生活様式の変化とくらべることが可能だろうか。
梅棹忠夫さんの『狩猟と遊牧の世界』によると、
人類の生活様式は
1.狩猟・採集
2.遊牧・牧畜
3.農耕
と、3段階にわけることができる。
なんとなくイメージ的には1から3へというながれが
どの社会においてもおこったようにおもってしまうが、
本書によるとけしてそう単純ではない。
第1段階は狩猟・採集ではあるが、
そのあとは1から2へとうごいた社会もあるし、
2をとばして、1から3という社会もあった。
そして、おなじ生活様式のなかにも、原始的なものがあるし、
それが高度に発展していったものもある。

以上のことをふまえたうえで、
いろいろなかたちでおこなわれているサッカーを
1.Wカップ
2.代表戦
3.Jリーグ
4.外国のリーグ
と4つにわけてみる。
このジャンルについて、どういうながれをたどって関心をうつす、
あるいはひろげていくかという法則性があるだろうか。

わたしがたどったWカップから代表戦へ、
といううつりかわりが一般的かというと、
かならずしもそうではない。
代表戦にはほんとど興味をしめさないのに、
プレミアリーグにはすごくくわしい、
というサッカーファンはめずらしくないし、
かとおもえば、代表戦はみるけどJリーグにはぜんぜん関心がない、
というファンもおおい。
Jリーグが2シーズン制をうちだしたのも、
Jリーグ人気がだんだんおちていっている危機感からであり、
代表人気はJリーグへの関心とはかならずしもかさなっていない。
一方、Jリーグの、あるチームの熱心なサポーターでありながら、
代表戦は関係ない、というひとたちもまた、ひとつの層として存在する。
サッカーのたのしみ方は多種多様であり、
なにがきっかけなってサッカーにとりこまれたかにより、
そのあとの遍歴に差がでてくるようだ。
ただ、わたしのようにはじまりがWカップだったミーハーファンについては、
1から4へというながれがわりとおおいのではないか。

もともと冗談でおもいついた生活様式とサッカーのアナロジーであり、
やはりというか、残念ながらというか、
ひとつの方向性をみさだめるの無理がありそうだ。
もしそれを発見できたら、
Jリーグ人気をたかめる画期的なアイデアとして、
Jリーグがたかくかいとってくれるだろう。

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posted by カルピス at 21:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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