2013年12月03日

『ユーミンの罪』(酒井順子) パンドラの箱をあけてしまったユーミン

『ユーミンの罪』(酒井順子・講談社現代新書)

ある本が、なにをつたえたいのかについて、
ただしくうけとめるのはあんがいむつかしい。
しかし、本書の主張はとてもはっきりしている。
「女性たちにとってのパンドラの箱をあけてしまったユーミン」だ。

「今思えば、ユーミンが見せてくれた刹那の輝きと永遠とは、
私達にとって手の届かない夢でした。(中略)
ユーミンに対しては、『いい夢を見させてもらった』という気持ちと、
『あんな夢させ見なければ』という気持ちとが
入り交じる感覚を抱く人が多いのではないでしょうか」

デビューアルバム『ひこうき雲』がでた1973年から、
バブルのおわる1991年まで、
ユーミンがつくった20のアルバムをとりあげて、
うたにこめられたメッセージと、それをきいた女性たちが
どうおどった(おどらされた)のかを整理する。

ところで、著者の酒井順子さんについて、
これまでにいなかったありがたい情報提供者として
わたしはとらえている。

クラスではあまり目だたないけれど
主流派の女の子たちを、すこしはなれたところから
冷静に観察している女の子。
これまで文章をかく少女たちは、
そんな「ちょっとかわった」ひとがおおかったようにおもう。
マジョリティとはちがう独自の価値観をもち、
クラスの辺境から同級生たちのおさない言動を
さめた目でみている。
酒井順子さんはそうではなかった。
はじめから主流派にぞくし、
クラスの中心でおおさわぎしている女の子たちが、
なにをおもい、どんなあそびをしているかを
目や耳となっておとなたちにおしえてくれた。
スパイとしてではなく、酒井さん自身も時代にのみこまれ、
おどっている当事者なので信頼できる。
少数派の意見はずっときこえていたけれど、
多数派の生態は、酒井さんの情報提供によって
はじめてあきらかにされたのだ。

酒井さんがこの本をかけたのは、
おおくの女性たちが、ユーミンのうたにどんな反応をしめしたか、
自分と自分の身のまわりにおこったこととして、
リアルな記憶がのこっているからだ。
20のアルバムにそって自分の記憶をたどることが、
そのまま当時の女性たちの意識をうきぼりにしていく。

ユーミンといえば助手席ソングだ。
ユーミンは助手席を肯定し、助手席ソングをつくりつづけた。

「そんなユーミンを見て、『助手席で、いいんだ』と
自信を持った女性も、多かったのではないでしょうか」
(「中央フリーウェイ)

この「助手席性」は、
やがて「つれてってソング」へとつながっていく。
(「恋人はサンタクロース」)

「女の子達は、『つれて行ってもらう』
という状況を整えるために、
陰で必死の努力をしましたし、
そして当時の男性には、
『その望みを叶えればモテる
(もしくはデキる)のであれば』と、
『無理をしてでも頑張ろう』という気概がまだあった。
その気概を技術的に支えたのが、
『POPEYE』や『HotDog PRESS』といった雑誌です」

また、ユーミンのうたによって
「負け犬」たちがうぶごえをあげた、という指摘は、
酒井さんならではのものだ。
晩婚化がユーミンにも責任があったとは。

よんでいるうちに、この本がとりあげている
1973年からバブルがおわるまでというのは、
じつにたいへんな時代だったということがわかってきた。
スキーやサーフィン(陸サーファーでも可)
ができなければなにもはじまらない。
ラグビーをかじっていれば、すこしはいいかもしれない。
女性にのってもらえるような自動車をもっていないと
つきあってもらえないし、そもそもデートにもさそえない。
男としていきているだけでは、その手の女性たちにとって
なんの存在意味もない。
お金も服のセンスもなく、
もちろん恋愛ゲームにうつつをぬかすだけの
気概ももたなかったわたしは、
どうやってこのつらい時期をやりすごすことができたのだろう。

おなじ時期に『男おいどん』に代表される
松本零士さんの大四畳半ものが、
ある一定の支持をあつめていたのは、
ユーミン的な世界ではとても生きていけないダサい男たちが
すくなからず生息していたことをものがたっている。
あと5年はやくうまれていたら、わたしはユーミンのうたに絶望し、
おそらく「おいどん」になぐさめられている
(こころのよわいわたしは「おいどん」にはなれない)。

歌詞をふかくよみこむことで、
うたい手の心理や時代背景をあきらかにした本というと、
小倉千加子さんの『松田聖子論』をおもいだす。
私語だらけの短大の授業で、「松田聖子論」の講義をすると
教室がしずまりかえったという。
女性たちはいつも、なにが自分に関係あるのかを
敏感にみぬいてしまう。
ユーミンのかっこよさとメッセージに気づいたのも、
もちろん男ではなく、わかい女性たちだ。

「洒落たものを洒落て歌うばかりでなく、
洒落ていないものを洒落て歌うことができるのが、ユーミンです」(51P)

「スキーやサーフィンをしている彼が好きというより、
スキーやサーフィンをしている彼を持つ自分が好き、という感覚です」(65P)

「ユーミンは、『湿度を抜く』ということに対して
天才的能力を持っています」(73P)

酒井さんはこの本を、バブルがおわった92年まででくぎっている。
おなじ時期に会社をやめたことから、
「ユーミン断ちをすることによって、
無所属人生の覚悟を決めたように思います」
という、なんだかとってつけたような説明がかいてある。
酒井さん個人がかわったということよりも、
バブルが崩壊したころからの世の中の変化は、
ユーミンにとってもまたおおきく、
時代にあわなくなったのかもしれない。
そして酒井さんはユーミンのうたを切実には必要としなくなった。

この本のサブタイトルは、
「ユーミンの歌とは 女の業の肯定である」
だ。
すべての女性の欲望は、女性であるがゆえにただしい。
パンドラの箱があいたのも、
それによっておどってもおどらなくても、
すべてをユーミンは肯定してくれる。
酒井順子さんならではの視点がいきたユーミン論であり、
時代のうつりかわりをおもいだしながらたのしくよんだ。

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posted by カルピス at 23:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 酒井順子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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