アゴにたるみがあるのに気づいた。
正面にカガミがあって、フォームをチェックするだけでなく、
からだの変化も目にはいりやすいよう「配慮」されているのだ。
アゴのたるみは、よほどふとっていないかぎり、
わかいひとにはみられない。
わかりやすく残酷な老化の目やすだ。
わたしはひとのアゴをよく観察しており、
たるんでいるひとをみかけると
「いやじゃないのかな」なんて失礼なことをおもったり、
自分がそうならないように、あわてて首をそらして
(効果があるかどうかはしらない)、
アゴがたるまないよう「予防」してきた。
このごろ『首のたるみが気になるの』
(ノーラ=エフロン)という本の宣伝をよく目にする。
アゴも首のつづきみたいなものだから、
この本もきっと首にあらわれた老化のきざしをあつかったものなのだろう。
やはり、女性はアゴ(そして首)のたるみにつよい関心があるのだ。
とうとう自分のアゴもたるんできたことに気づいたわたしが
なにをおもったかというと、
「ま、しょうがないか」という意外な達観だった。
歳をとったのだから、アゴがたるむくらいあたりまえだ、
というまさかのひらきなおり。
整形までいかなくても、なにか効果的なマッサージや刺激をあたえ、
しのびよってくる「たるみ」にジタバタするタイプかとおもっていたのに、
ほとんど抵抗なく状況をうけいれられた。
きっと、肥満についてもおなじことがおこるのだろう。
男性でも女性でも、わたしはふとったひとをみると
「なんとかしたらいいのに」と、
余計なお世話ながらいつもおもってきた。
だけど、やがて自分がふとったときは
「ま、中年なんだから、これはこれってことで」と
きわめておんびんにすませるような気がする。
当事者になるまではあくまで他人ごととして
きびしい視線をそそぐくせに、いざ自分がそうなると、
同類としてすぐに正常な範囲としてとらえなおすあたり、
あんがいいやな性格の人間なのかもしれない。
「なかったこと」「みなかったこと」にするのは
以前からわたしの得意技だったけれど
(「ま、いいか」もそうだ)、
まさかからだの変化にも適用できるようになるとは
わたしもおとなになったものだ。
アゴのたるみをすんなりうけいれられた心境の変化について、
そうわるい気はしなかった。
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