2014年01月02日

『今日もやっぱり処女でした』(夏石鈴子)あおばのささやかなスタートに祝福を

『今日もやっぱり処女でした』(夏石鈴子・角川学芸出版)

タイトルにひかれて、というのはウソで、
角田光代さんの書評にとりあげられていたのが気になっていた。
とはいいながら、まえにも夏石さんの
『バイブを買いに』をよんだことがあるので、
やっぱりタイトルにひかれたのかもしれない。

24歳のあおばは、つとめていた会社をきょねんの冬にやめ、
いまは派遣社員として化粧品会社ではたらいている。
仕事におもいいれがあるわけではなく、
転職ではなく派遣社員をえらんだのは、
イラストレーターになりたかったからだ。
その夢をかなえるために、勉強する時間がほしかった。
週に1回の教室にかよい、家でも提出する「宿題」に毎晩とりくむ。

タイトルにあるとおり、あおばは処女なわけだけど、
そのことにそうひっかかっているわけではない。

「ちょっと世の中、恋愛やセックスのことばかり
考え過ぎではありませんか。
人間にとって、もっと大事なことはあるはずです。
誰かにそう言ってみたい」

といった程度だ。
そしてだんだんと
「健康でのんびり女は口説かれにくい」
「健康なのんびり女は燃え上がりにくい」
ということがわかってきた。
そんな自分をどこか他人ごとのようにみている。

あおばも、彼女の両親も、まっとうなかんがえ方をするひとで、
それだからか、すこし世間からういているようにみえる。
あおばは、まえの会社であまりにもしょうもないことをもとめられ、
「もういいや、こういうことは嫌だ。他の仕事をしよう」
とおもい、やめてしまった。
それだけまともな人間であり、そうおもいきれるつよさがある。
おかあさんはあおばが仕事をやめるといっても、
そのことについて反対はしない。
ただ、
「会社を辞めても何か仕事をして。
何もしないで理屈だけ言ってうちにいるのは、絶対だめ」
とクギをさす。
こんなおかあさんだから、
あおばみたいにまじめな子がそだったのだ。

イラストの教室はもう定員にたっしていたけれど、
とにかくいちどきてみませんかと先生にいわれ、
あおばは教室をたずねていく。
みじかいやりとりのあとで先生は

「(イラストレーターは)人とちゃんとやりとりできるかどうかも、
大切な要素で、山口さんは、それがちゃんとできる。
もちろん、それだけじゃ、イラストは描けないけれど、
まず第一段階は合格」

といってもらえる。
自分をさがすには、まともな社会人であることが
前提条件なのだ。

この本をよんだからといって、
すごくこころがときめいたとか、
おもいたってなにかをはじめたくなるわけではないけれど、
こんなふうに地道に生きていくしかないんだな、
となんだかおちついた気もちになってくる。
本のなかでかたられているあおばさんは、
彼女が気づいていないだけで、とても魅力的だ。

あおばはときどき神さまにはなしかける。

「あの、神様。
 わたしのこと、お忘れじゃないですか。
 わたし、こうしていてもいいのでしょうか。
 いいというか、つまり、わたしにも、この先、
 何かぱっとしたことが待っていますか。
 わたし、居場所をまちがえていないですか」

ものがたりのおわりでは、
はなしかける内容がずいぶんかわってきた。

「神さま、これから先も、
 一度も考えたことのないことって、たくさん起こりますか?
 わたし、そんな事もどうにかやってみようと思うのです。
 神様、どうか見ていて下さい。
 時々弱音も履きますが、わたし、もう始めてしまったんです。
 とにかくやります」

自信はないけど、自分できめ、はじめたことに、
すこしずつ足をすすめていく。
まっとうにそだってきた女性が、
自分の人生に責任もった生き方をえらび、
彼女なりのスタートがきれたことを祝福したい。
このさきは、またべつのものがたりであり、
第一幕はこれでいいのだ。

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posted by カルピス at 17:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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