亭主関白ののほほんの座にくらべて、妻の座には、どれだけの涙がそそがれてきたことか。しかし、わたしはかなしみやよろこびのことはいわないでおこう。
とかいておられる。
ほとんどひらがばかりをなれべながら、
なんとうつくしいリズムだろう。
それとともに、民族学という学問が、
個人的な感情に左右されない、
かわいた精神によるおとなの学問であることをしる。
主観ではなく、あくまでも客観が基本だ。
チャコが死んでしまった。
しかし、わたしもまた
「かなしみやよろこび」についてはかかないでおこう。
かなしさや喪失感をここでのべるかわりに、
いっしょにくらしている動物が病気にかかったときに、
どれくらいお金が必要かを記録しておくことにする。
チャコのようすがおかしくなり、病院へつれていくと、
血液検査をされた。脱水症状もはげしいので
補液もされる。
補液は、点滴みたいなやり方で、
いちどに250ccほどの水分が、
血管ではなく、皮と筋肉のあいだにはいっていく。
検査の結果は、腎不全と糖尿病であること、
臓器になにか腫瘍があるかもしれない、とお医者さんにいわれる。
それからは、毎日病院へかよった。
以前からお世話になっている病院で、
かいぬしにしっかりした対応をもとめるきびしい先生だけど、
定休日である水曜日、それにお正月の三が日でさえみてもらえた。
12月15日から1月5日まで、連続して23日間、病院へかよいつづけた。
血液検査に8000円、補液に1700円、
2週間ほどしてからはじまったインシュリンの注射は1200円かかる。
けっきょく、23日の通院で6万円が必要だった。
補液とインシュリンで2900円になるので、
これがもし1ヶ月つづけば、それだけで6万円になり、
いかに大すきなチャコのためとはいえ、
かなりの負担であることはまちがいない。
わたしは銀行からチャコ用に10万円おろしてべつの財布にいれ、
それをわたしのおこづかいとはきりはなしてかんがえることにした。
毎日の治療費を、へっていくお金を気にしながらしはらっていると、
邪悪な感情がはいりこみそうだ。
わたしはケチでビンボーだけど、
自分のお金でないとおもいこめれば、わりときまえがいいのだ。
いちど病気やケガをすると、万単位の治療費がもとめられることを、
これから動物をかおうとするひとはしっておいたほうがいい。
もちろんほかでは手にいれがたいよろこびがついてくるとはいえ、
どうしてもある程度のお金が必要になる。
何十匹のネコとくらしているひとがときどき紹介されるけど、
病院にかかる費用はどうかんがえておられるのだろう。
まえにかっていたネコも、腎不全でよわっていった経験があるので、
へたに延命をめざすより、死を運命としてうけいれようとはじめはおもっていた。
しかし、うずくまったまま、水や食事をもとめなくなった動物を
なかなかほっておけるものではない。
都会だと、なくなった動物のために葬祭会館があるそうで、
そのための費用もまた必要だろう。
わたしは庭に穴をほってチャコのお墓にする。
チャコのおかげでかけがえのないおもいでがたくさんできた。
ああすればよかった、というおもいはいくつもあるけれど、
それをふくめてのチャコとのつきあいだったと自分にいいきかす。
「よろこびとかなしみ」は
つねにセットであることをかみしめるほかない。
それらを客観的にとらえられるわけがなく、
いいこともわるいこともひとまとめになって、いとおしくおもいだす。
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