2014年01月10日

『母親ウエスタン』(原田ひ香)不思議なものがたりが生みだすさわやかな読後感

『母親ウエスタン』(原田ひ香・光文社)

目黒考二さんが原田ひ香さんを絶賛していたのでよむ気になった。
なにげない描写なのに、最初の1ページでもうひきこまれる。

母親がいない子どもの家(父親はいる)にはいりこみ、
まるで母親のように子どもたちの世話をする、
広美という女性のものがたり。
広美は、ある期間がすぎるとその家をはなれ、
また子どもとすごすことのできる家族をさがす。
彼女はそうしたことを20年以上くりかえしてきた。
彼女がすごす、そうした一時的な家族とのくらしと並行して、
かつて彼女にそだてられた子どもたち(成人している子もいる)
のはなしがおりこまれている。

彼女は、母親がいなくてさみしいおもいをしている子どもによりそう。
あたたかくみまもったり、いっしょにあそんだりするだけでなく、
じっさいのお母さんとすこしもかわらない母性を子どもたちにむける。
ちゃんとした教育をうけさせ、必要であれば本気でしかり、
手づくりのおやつを用意し、やさしくそいねする。
なぜこんなにまで血のつながりのない子どもたちのためにできるのか、
よんでいて不思議になってくる、献身的なかかわり方だ。
お母さんとはよばせずに、あくまでも手つだいにくるお姉さん
(歳をとってからはおばさん)としてふるまうけど、
自分のことをほんとうに愛してくれたお母さんとして、
子どもたちの記憶にのこる。

借金とりからにげようと、一家そろって車にのり、
となり町をめざしていたとき、
お父さんがむせびなきはじめた。
「もうだめだ、死んでしまいたい。
どうせあいつらは追いかけてくる・・・」

「『だったら、ここで死にますか』
暗闇の中からかすかに聞こえる広美の声は、
普段のしゃべり方とぜんぜん違う冷たい声だった。
『ぜんぜんかまいませんよ、私は。
子供は連れていきます。
あなたが死にたいなら死ねばいい。
けれど、子供は私がもらっていきます。
私が世話してちゃんと育てます。
その代わり、死ぬならきっちりここでやってほしい。
死にきれないとか言って、あとから私たちに迷惑かけないでください』」

広美のおもいは、あくまでも子どもたちにむけてのもので、
男は子どもたちの父親というだけにすぎない。
実の親でもないのに、これだけの覚悟をきめて
なぜ広美は子どもたちにつくそうとするのか。
かとおもえば、自分が必要でない状況になると、
広美はふっといなくなってしまう。

子どもたちにとって、
母親がいないさみしいくらしに広美がやってきて、
ずっとそれがつづけばとねがっていた、しあわせな生活だったのに、
きたときとおなじように、広美はいつのまにかいなくなってしまう。
あんなにほんとうのお母さんみたいにせっしてくれた広美が、
ある日とつぜんいなくなってしまい、子どもたちは途方にくれる。

たとえば自分の子をうしなったネコが、
そのかわりとなる子をみつけてかわいがるように、
我が子として広美は子どもたちに愛情をかたむける。
つぎの家にうつれば、まえの子どもたちのことはほとんどわすれてしまう。
そのギャップがあまりにもすごく、広美の気もちはつかみどころがない。

原田ひ香さんは、どうしたらこんな不思議な女性を
つくりだすことができたのだろう。
ふつうに説明されたらありえない生き方なのに、
リアリティをもたせるのがうまく、
広美をめぐる奇妙なはなしにひきこまれていく。
母親とは、母親がしめす母性とは、
すべての子どもたちにとって格別な存在なのだ。
よみおえたあとの感想もさわやかで、
これからも原田ひ香さんの本をよんでみたくなった。

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posted by カルピス at 20:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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