星野さんの本はどれも、自由であることを大切にし、
自由をまもるためのたたかいがかいてある。
この本は、なぜそんな生き方をするようになったか、というはなしであるとともに、
ネコの死がきっかけで、精神的にまいってしまった星野さんが、
実家のある戸越銀座にもどって、ふたたび生活をたてなおすものがたりでもある。
「自分は多分、彼女たちがさほど重視しない
『自由』というやつを守るために、
それなりに必死でやってきた。
そのこと自体は後悔していない。(中略)
では自分が手にしたものは何かあるのだろうか。
あるとしたら、それは他のものすべてを捨てるほど
価値があるものだったのか」
中年期にさしかかるころになると、
星野さんは自由についてふたたびかんがえるようになる。
自信をなくてもいたのだろう。
そんな時期と、かっていたネコの死がかさなり、
星野さんは社会生活になじめなくなるほど精神的に不安定になる。
一般的にペットの死からおもいえがくおちこみよりも、
星野さんがうけたダメージははるかにふかく致命的だ。
「他人と社会的生活を営めない不安定な自分を、
唯一支えてくれたのが猫たちの存在だった。
そんな彼らが次々と消えてゆき、
精神状態の堤防が崩壊した」
星野さんは、ゆきがよわっていき、入院し、家でみとるまでをおもいだす。
ゆきが入院すると、トイレ・ネコ砂・水のはいった容器など、
すべてがあるのにゆきだけがいない。
このことが、どれだけ不安なのかを星野さんはしる。
「私が家を留守にしたことは何度もある。
昔は1ヶ月も平気で留守にし、
そのことを何とも思わなかった。
そのつど、ゆきは、こんな不安を味わっていたのだ」
「野良猫出身の彼らが、様々な危険に遭いながら
必死で生き延びようとする姿が、
知らず知らずのうちに自分に影響を与えたような気がする。
野良猫が生きる過酷さに比べたら、
自分がフリーとしていきる不安定さなど大したことではない」
「私は写真を見せながらゆきに語り続けた。(中略)
語りかけているうちに、当時のことがみるみる脳裏によみがえった。
私はこの時代を思い出す時、『不安だった』『貧しかった』『必死だった』と、
そんなことばかり思っていた。
でもそれは違う。
私はもしかしたら、とても幸せだった」
ゆきをうしなった星野さんのかなしみは、あまりにもいたいたしい。
わたしは、ついこのまえ死んでしまったチャコのことを
どうしてもおもいだしてしまう。
星野さんは、ゆきのためになにができるかをかんがえる。
「タオルを濡らして顔やお尻をきれいに拭き、
ブラシをかけて爪を切った。
口とお尻には綿を詰め、うまく隠した。(中略)
するとゆきは毛並みがふわふわして本当にかわいくなった。
不思議なことに、足は硬直し始めていたが、
なぜか体はいつまでたっても柔らかいままだった。
私は丸二日、ゆきの遺体を抱いて眠った」
星野さんは、ゆきを冷凍庫にいれることまでおもいつく。
ネコについて星野さんがかく文章は特別だ。
ネコと星野さんは完全に一体であり、客観的な存在ではない。
「不安定な自分を唯一支えてくれるもの」、
というのは比喩ではなく、まったくの現実だったのだろう。
このエッセイをよむと、星野さんは戸越銀座でくらすうちに、
世間のおばさん的なつよさを身につけたようにみえる。
それまでの中央線沿線でのアパートぐらしとちがい、
戸越銀座のひとたちのくらしは、いかにも地に足がついている。
いまの星野さんは、ネコだけが唯一のささえではなくなってきている。
そんな星野さんが、自由をどう定義するようになったかは、
これからの作品であきらかにしてくれるだろう。
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