棒ぞうきんでゆかをふき、そのあとほうきでごみをあつめる、
という単純なやりかたを毎日くりかえしており、
そのたびにおどろくほどのゴミがあつまる。
うちには2匹のネコがいるので、
ペットがいるとさすがによごれるものだと、感心していた。
ロボット型のそうじ機は、ペットのいる家庭を
ターゲットにしているときいたことがある。
ペットのいる家はどこもこうしたゴミになやまされているのだそうだ。
それが、数週間まえにチャコがいなくなったにもかかわらず、
あいかわらずおなじ量のゴミが毎朝あつまってくる。
ネコがうみだすゴミだとおもっていたのに、
1匹がいなくなったからといって、
ゴミが半分になるわけではないようだ。
しかし、こんどは母が入院し、さらに家族の人数がへった。
4人と2匹だったのが、3人と1匹になったのに、
ゴミの量はあいかわらずかわらない。
ときどきそうじをさぼったときは、
2日分のゴミになるかというと、そうでもないようだ。
あいかわらずあつまるゴミの量は一定である。
すこしまえなら家にすむ妖精のしわざかとおもうところだけど、
さすがにそれは検討の対象からはずしてもいいような気がする。
いったいゴミの量は、なにによってきまってくるのだろうか。
ここにきて、どうもゴミの量は家族の人数には関係せず、
つねに一定の量があつまる、という法則があることにわたしは気づいた。
すんでいるひとや動物がごみを生みだすのではなく、
そうじがごみをつくりだしているのだ。
むかしのヒゲソリのCMで、通勤ちゅうの男性サラリーマンに、
ヒゲソリ器をためしてもらう、というのがあった。
家でヒゲをそったばかりなのに、そうとはおもえないほど
たくさんのヒゲがそれ、男性が感心する、というやつだ。
わたしがそうじとゴミの関係についてかんじるのは、だいたいこれにちかい。
そうじをすればゴミがでるのだ。
この法則は、ほかの場面でも適応できないだろうか。
ゴミの量は、ひとの人数によってきまるのではなく、
ゴミをあつめるかどうかに左右されるので、
市町村のごみ処理態勢は、人口にかかわらず
つねに一定規模が必要なのではないか。
もちろん大都会と限界集落をくらべてもしかたがないけれど、
ある規模までは、この法則が有効なはずだ。
都市計画をたてるときに、ゴミ処理施設は
つねに一定規模を確保する必要がある。
もしかしたら、そうじはしてもしなくてもかわらないのではないか。
だれもすまない家でも、
そうじをしたら一定量のゴミがでるかもしれない。
やればやるだけあつまってくるのがゴミの本質であり、
そうじによってその本質をかえることはできない。
そうじとゴミの関係について、
ちょっとちからずくだけどかいてみた。
これこそがブログのだいごみかもしれない。
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