2014年02月15日

『英国一家、日本を食べる』(マイケル=ブース)だしと旬の素材、そして感謝する謙虚な気もち

『英国一家、日本を食べる』(マイケル=ブース・亜紀書房)

ブース氏は、料理学校でしりあった日系人のトシと、
日本料理についてよくいいあらそいをする。
やがてトシの影響で辻静雄氏の本をよむようになり、
日本をじっさいにたずね、
自分の舌で日本料理をあじわうことをきめる。

この本はブース氏とその家族(奥さん・子ども2人)が
日本各地を3ヶ月のあいだたべあるいた記録だ。
新聞の書評欄にもとりあげられていたし、ブログでも評判をよんだ。
2013年の4月に1刷が発行された本書は、
おなじ年の12月にはやくも11刷までのばしている。
そんなにうれている本をかうのはちょっとシャクだけど、
外国人の味わった日本食、というのに興味がわいた。

ブース一家は北海道から沖縄まで、料理で有名な日本各地をたずね、
これぞいまの日本、というたべあるきを実行する。
有名店だけでなく、ラーメンやうどん、おこのみやきにタコヤキと、
出発まえにチェックしていた日本ならではのたべもの。
そしてジャーナリストとしての人脈をいかして、
相撲部屋やSMAPの料理番組といった取材体験も紹介されている。
どのたべものも、めずらしくておいしそうで、からだにもよく、
こんなすてきな国だったら、わたしも旅行にいきたくなってくる。
おこのみやきは「世界に広まる次の日本の料理のトレンド」なのだそうだ。

福岡のラーメン店「一蘭」へはわたしもいったことがある。
カウンターが板でしきられていて、
となりの席がみえなくなっている。
おしゃべりやケータイは禁止という方針で、
それだけラーメンに集中してほしいというしんじられない店だった。
味についてはあまり印象にのこっていない。
パーテーションというレイアウトに気をとられ、
かえってラーメンに集中できなかったみたいだ。

相撲部屋はドラッグがひろがっているとあっさりかいてあり、
こういうのは外国人の記者でないとかけないリアルな情報だ。
本の前半は、日本をはじめておとずれた外国人としての
正直な日本食体験の感想がきけるけど、
後半は日本の食文化にかんする専門書の紹介みたいになっていた。
家族での体験記ではなく、ブース氏だけが登場するようになったせいかもしれない。
子どもや奥さんという食のしろうとが、
日本のたべものをどうかんじたか、という視点がおもしろかったのに。

日本でいちばんという料理店での食事がブース氏をおどろかす。
じょうずにだしがとられた料理について、

「かすかな磯の香りがふっと鼻を突く。
どこまで味でどこからが香りかを区別するのは不可能」

旬の素材をいかすことについて、

「素材そのものを反映した混じり気のない味は、
ほのかでありながら、ここぞという部分だけ際立っている。
ひとつの料理のなかに、異なる風味と異なる強さの味が、
重なり合って存在しているように感じるが、
そのひとつひとつは、明確に区別がつく。(中略)
盛りつけは上品だが、技巧や細かな手間は全く施されていない。
ただ、料理があるべきところに『到着している』だけのように見える」

日本料理とは、だしのうまみと、旬の素材をいかしたものであると、
ブース氏は理解する。

パリにもどってトシにあったブース氏は、
日本料理のよさをすべてみとめるとつたえる。

「じゃあ、もう、魚を長時間火にかけたりしないだろうな?」
「ああ、トシ、しないよ」
「野菜にクリームやバターも、もうなしだな?」
「そうするよ、トシ」

トシはさいごに「ごちそうさまでした」をブース氏におしえる。

「仏教から生まれたことばで、
食べ物を収穫する人や料理をしてくれる人に感謝するという意味だ。
今度から、食事のたびに言えよ」

自分にたいして、同業者にたいして、料理にたいして、素材にたいして、
謙虚でなければほんものの料理人になれない、
とブース氏はさいごにまとめている。
「ごちそうさまでした」、そして「いただきます」は、
日本料理が日本料理であるための、たいせつなことばだ。

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posted by カルピス at 18:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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