『サンデー毎日』に連載されている「ナマコのからえばり」シリーズの3冊め。
シーナさんは月に22の連載をかかえているそうで、
「ほぼ毎日が原稿締め切りなんだけれど、
ニンゲンというのはしぶといもので、
殆どアタマの中に何の思考も入っていないのに
締め切りを直前にすると人々を騙すようなコトバのレトリックを使って
ナニゴトかほざき、
それが『おはなし』になってしまうのである」
という。
ひどいはなしにおもえるけど、
それでもよませてしまうからたいしたものだ。
くらべるのは失礼だけど、ブログをかくのもにたようなもので、
パソコンにむかってなにかうっているうちに、
はじめにおもっていた方向とぜんぜんちがう結末ながら
うまくおさまってしまうところがある。
この本は、ネタにこまってあきらかにくるしまぎれ、
という回がときにはあるけれど、
シーナさんくらいになると、それでもなんとかつないでしまう。
なんば花月で「オール阪神・巨人」の漫才をきいたときに、
はなしがあっちへとんだかとおもうと、
あい方がぜんぜん別のはなしをはじめ、と
自由自在にしゃべくっているようにみえて、
それがめちゃくちゃおもしろくて感心したことがある。
名人の芸とは、こういう別格な域にたっしているのだ。
シーナさんのネタにこまったよたばなしも、
それといっしょで、というとちょっとほめすぎか。
でもまあ、だいたいそんなかんじ。
あぶなげがなく、安心してよんでいられる。
おもしろかったのは「見たことがない」というはなしだ。
この回では
「がくりと肩を落とした」
「目を白黒させていた」
などの身体表現にシーナさんはからんでいる。
「ペロリとたいらげた」のペロリとは、どういうたべ方か、
といわれるとたしかにそうだし、
「口にチャック」では、じっさいに口にチャックをぬいつけた状況を想像し、
それがいかにたいへんなことかという指摘がおかしかった。
安易にそんな表現をつかうな、というのだ。
口にチャックなんかつけられたらたいへんだから、
わたしもこの手の表現は
比喩とはちがうものとしてあつかうようにしている。
もっとも、ソチオリンピックの女子フィギュアで
リプニツカヤさんの演技をみていたら、
ありえないからだのつかい方がでてきたりする。
「ペロリとたいらげる」みたいな身体表現も
あながち不可能とばかりいえなくなるかもしれない。
批判だけでとどまっていては芸がない。
シーナさんの提案は、どうせありえないうごきなわけだから、
そんな中途半端な表現ではなく、もっとおおげさに、というものだ。
たとえば
「岡山県の養蚕業の網島さんは
このままではもうやっていけません、
とにわかに怒りはじめ、口から轟々と火を吐いた」
のほうがインパクトがあるではないか、という。
「口から轟々と火を吐く」はともかくとして、
方向性としては採用したいかんがえ方だ。
でも、こういう身体表現が気になるひとは
はじめからべつのたとえをつかうだろうし、
気にならないひとはどうどうと「ペロリとたいらげる」だろうから、
現実的には採用されそうにない。
スポンサードリンク