2014年03月27日

春になると、自然にはしりだしたくなる 子どもたちのリアルさ

春やすみにはいり、わたしの職場「放課後等デイサービス・ピピ」は
たくさんの子どもたちでにぎわっている。
定員が10名の事業所なので、いちにちの平均利用者が12名以下、
いちにちでは、定員の150%、つまり最大15人までときめられている。
利用者がおおければ、それだけ事業所にはいるお金はふえる。
春やすみなど、学校がやすみのときは、
ふだんよりもさらに単価があがるので、
事業所にとってはかきいれどきともいえる。

今週は、月・水・金が15人、そのほかの日も
13人だったり12人だったしたので、
もうずっとにぎやかなのがつづいているかんじだ。
こうなると、ソロバンをはじくげんきもなくなり、
ぐったりとつかれはてて いちにちをおえる。
ふだんは放課後、つまり午後2時から6時までという
みじかい時間しかはたらいていない身としては、
春やすみは試練の2週間だ。
つかれると、なんとかしようとポジティブにとらえるげんきもなく、
ただあたえられた課題をひたすらこなす日常になってしまう。
おそろしいことに、そうした毎日になれてしまうのも人間の特徴のようで、
朝はやくから職場にいくのがあたりまえになってしまった
(でもこのツケはあとからおおきくひびいてくる)。

15人の子どもたちがあそびまわる1軒の民家「ピピ」は、
むかしの日本はこんなかんじだったのではないかとおもわせる風景だ。
お正月に親戚じゅうが本家にあつまり、
イトコどうしでおおさわぎしてうごきまわる。
どの部屋をのぞいても、なんにんもの子があそんだり、
ただゴロゴロしてたり。
少子化の日本といえども、いるところには、子どもがたくさんいるのだ。

きょうはお天気がよかったので、ちかくの運動公園へ散歩にでかける。
ひろい敷地なので、くるまやひとに気をつかわず、
安心してすごすことができる場所だ。
みんなでゆっくりあるいていると、きゅうにひとりの子が
「おれ、はしってくる」といって、
外周をまわろうとはしりはじめた。
ほかの子たちも、なんにんかで「よーいドン!」をやっている。
ながい冬がおわり、ようやくやってきた春に
からだが自然に反応したかんじだ。
はしることにうえていたようにもみえる。
生物として、リアルなエネルギー発散への欲求だったのかもしれない。
ブランコやすべり台でまずあそぼうとするのかとおもったのに、
とにかくはしりたい、となるのがすばらしい。

わたしは、バギーにのる子をおして この光景をながめていた。
残念ながら、わたしにはたまらなくはしりたくなる欲求はわいてこない。
みんな、えらいなー、とまるでひとごととして
はしりまわる子どもたちに感心する中年職員。
春のうららかな陽をあびて、
さいごに血をさわがせたのはいつのことだったろうか。
はしらずにはおれない子どもと、
こうしていっしょにすごせるのは
きっとすごくしあわせなことなのだろう。

スポンサードリンク



posted by カルピス at 20:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック