著者は、日本ではじめて気球をつくり、
それを日本でとばしたひとだ。
冒険や探検の本がすきだったわたしは、
そのながれのなかで自然にこの本を手にしたようにおもう。
中学1年生のときのことだ。
冒険の本らしく、熱気球をつくってとばすまでの経緯がおもしろいけれど、
この本のもうひとつの魅力は、著者 エリオ氏が
学校を徹底的に批判していることだ。
「プロローグ」からしてすごい。
「高校二年生のとき、ぼくは落第した。
病気なんかではない。もちろん成績不良だ」
たぶんわたしはこのことばにおどろき、ノックアウトされ、
おおよろこびでこの本をうけいれたのではないか。
エリオ氏は、はじめにはいった平安高校を、入学して3ヶ月でやめている。
理由は「校風にあいません」だった。
制服やもちものにたいするとりきめがすごくきびしく、
ばからしくなったのだそうだ。
ふつう「校風にあいません」は学校が生徒をやめさせるときのセリフで、
でもエリオ氏は生徒の側にも校風をえらぶ権利があるとおもっていた。
エリオ氏は、もういちど受験勉強をやりなおして、
つぎの年に府立の鴨沂高校にはいる。
そこは自由な校風でしられている学校で、
1年ほどすきかってなことをして学校生活をたのしんでいた。
ある日、学校の先生が
「自由のはきちがいをしてはいけない。
今の三年生のように、遅刻はするし、授業はサボる、
あれは、自由のはきちがえをしているのだ」
といいだした。
エリオ氏は、先生のあたまのなかには、
けっきょく勉強や成績のことしかないことに気づいた。
「あこがれてはいった鴨沂高校も、けっきょくはただの学校だったんだ。
成績でおどしつけて、生徒の自由をうばい、
ワクにはめて、先生のいうことをきかす。
ぼくは、だまされたのだ。
鴨沂高校の自由の校風なんて、見かけだけだったのだ」
「プロローグ」にあったように、エリオ氏は落第して
二年生をもういちどやることになる。
その年の夏に屋久島へいったことがきっかけで
空にうかぶこと、そのための気球づくりにとりくむことになる。
本書には、学校教育にたいするうらみ・つらみがあちこちにかかれている。
「学校というところは、ひどいところだ。
学校というところは、
自発的な行為を何一つさせてくれないところだ。
学校がお膳だてしたことだけをやらせようとする」
「ぼくは、先生によくこんなことをいわれた。
『きみはやればできるんだ』あたりまえだ。
ぼくはやればできるにきまっている。
そんなことを先生から聞かされなくても、ぼくは知っている。
ぼくのやれることをやらさないのが学校なのに、
先生にはそれがぜんぜんわかっていないのだ」
高校の先生たちは、エリオ氏のあつかいにこまったようだ。
「成績の悪い子は、頭の悪い子で、そういう子は、先生なりに、
救うなりなんなりする手だてがある。
ところがぼくは、頭が悪いのやら良いのやら、
いったい何を考えているのかさっぱりわからん
ということになるらしい。
ぼくは、少し気がふれているのではないかと思われていたようだ」
「気球のことは、だれに言ってもまともには聞いてくれなかった。
しかし支持者がぜんぜんなかったわけでもない。
ほんの少数の女の子が共感をしめした。(中略)
『ヘェー、梅棹クン、気球で空を飛ぶの?ほん気?』
といって、中空をながめて、『ええなあ』といったあと、
『フーッ』とためいきをついた。
ぼくは、すこし気をよくした」
気球をつくるのは、エリオ氏ひとりだけでできるとりくみではない。
まず仲間をあつめ、そしてどんな気球にするのかをきめていく。
「熱気球イカロス5号」とあるのは、
試作をいれて5代目の気球だからで、
それまでにたくさんの実験をかさね、
ようやく5号目で完成にこぎつけている。
なんといっても、空をとぶのはひとのいのちにかかわってくる。
学校にたいする不満や、著者が落第生であることとは関係なく、
綿密な計画をたてて、それを実行にうつす能力が必要となる。
お金もあつめなければらなない。
おこづかいをもちあってすむような規模ではないのだ。
気球をつくる布やゴンドラ、それにじっさいにとばすために150万円が必要で、
イカロスのメンバーたちは、会社をまわって資金をつのっている。
こういうのは、ほかの冒険や探検とまったくいっしょで、
その過程が具体的にかいてあるこの本をよめば、
どんな計画でもたてられるだろう。
もちろんやる気さえあれば、のはなしだ。
みょうじからわかるように、このエリオ氏は、梅棹忠夫さんの長男であり、
わたしは梅棹さんの本よりもさきに、まずエリオ氏の本をよんでいたのだ。
そのずいぶんあとに梅棹忠夫さんの『モゴール族探検記』を目にして、
「また梅棹さんがへんな本をだしたぞ」とよろこんだものだ。
梅棹さんのむすこだからといって、
このイカロス計画がなにかで優遇されたかというと
まったくそういうことはない。
梅棹さんも、気球をとばすことについて
直接のアドバイスはなにもしていない。
ただ、梅棹さんの友人であり、名古屋大学の教授でもあった樋口敬二氏に、
この計画の相談役をたのんでいる。
ふたりのあいだで、なんどもイカロス計画についてはなしをかさねており、
メンバーにはしらされていないこの「みまもり」は、
計画を成功させるために、おおきなやくわりをはたした。
この本は、あそびがどれだけ大切かを
中学生のわたしにおしえてくれた。
ある意味で、わたしにとって決定的なであいだったかもしれない。
これまで「冒険」とかいてきたけれど、
気球をつくり、うかべるのは、エリオ氏にとってあそびであり、
なにかの目的があったわけではない。
目的から完全にはなれた行為を、
わたしはこのイカロス5号によってはじめてしることになる。
あそびこそすべてと、しらずしらずのうちに
おもいこむようになっていた。
「ぼくは、働くことに価値はないと思っている。
いまは、働けばすぐ金が手にはいる。
金につられて働けば、働くことにならされてしまう。
そのうちに働くことが生きがいになる。(中略)
人間は、自分のやりたいことをやって遊ぶのが本当だと思うのだ。
社会のために意義のないこと、役にたたないことでも、
ぜんぜんかまうことはない」
「ある友だちは、ぼくが遊びほうけて、
口をひらけば気球、気球と言うのを見て注意してくれた。
『君のところは金があるから、いまは遊んでいられるけれども、
一生遊んでくらすことはでけへんで。
どうせお前も働かんならんようになる』(中略)
この友だちは、どこかでぼくを誤解しているようだった。
言っとくけど、ぼくの家は金持ちじゃない。
ぼくの家が金持ちなら、もっと遊びたおしてやる。
ぼくは、遊んでいられるから遊んでいるのではなくて、
遊ぶことこそ最高だと思ったから遊ぶことにしたのだ」
この本のクライマックスは、北海道の平原で、
じっさいにイカロス5号をとばしての飛行に成功した場面だ。
最初ののりくみ員にエリオ氏はえらばれて、
日本人初の気球にのりこんでいる。
「なんというすばらしい光景だろう!
羊蹄山が雪をかがやかせている。
洞爺湖が静かに水をたたえている。
そして、あらゆるものが開放されて、自由に生きている。(中略)
ぼくは、おかしくて、なみだが出てきた。
何もかもすべてが、おかしくてしかたがない。
こんなイチジク形のオレンジ色の気球を作るために、
ぼくは、ぼくの全力を投入した。
なんのため?
そんなこと知るもんか」
気球をとばし、気球らしい空のたびをたのしめば、
エリオ氏のあそびはそれでおわりだ。
その気球をつかってひともうけしようなんて
すこしもおもってない。
エリオ氏は、この飛行のあとなにをしたのか。
エピローグには、「進学も就職もしなかった」とあるだけで、
具体的なうごきはしらされていない。
はたらくことに意味はない、あそぶことこそ最高、というエリオ氏の、
その後の人生にとても興味がある。
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