2014年04月11日

人間にたよらない運転システムが必要だとおもったこと

職場から養護学校へおむかえにいくとちゅう、
うしろをはしっている車が わたしの車に追突してきた。
すぐにちかくのコンビニの駐車場にとめて
警察や保険会社などへ連絡する。
さいわい、どちらの車にのっている人間にもケガはなく、
車も、バンパーとうしろのドアがすこしへこんだ程度ですんだ。
相手方は65歳くらいの男性で、
すぐに自分のミスでぶつけたことをみとめ、
事後対応にも協力的だった。
たまたままえをはしる車への注意がおろそかになってのことで、
65歳という年齢は、関係ないのかもしれない。
それでも、事故をもらったほうとしては、
年配の方が運転する車への 不信感をつのらせることとなった。

このごろしんじられないような運転をする車をよくみかける。
信号の色にしたがって車をうごかせなかったり、
自分ひとりで道路をはしっているような運転だったり。
イラッとさせられる運転をしているのは
年配者のドライバーであることがおおく、
これから高齢者の運転による事故がふえるのではないかと
気になっていたところだ。
バスや電車をつかっての移動だけでは 不便すぎる過疎の県なので、
歳をとったからといって、自動車の運転をやめるひとは そうおおくないだろう。
これからの道路は、ますます危険なものになっていく。

すこしまえのブログに、文章はかけなくてあたりまえ、
とかいたけれど、
運転もまた、できないのがあたりまえなほど
本来むつかしい技術を要求しているのではないか。
このごろようやくぶつかるまえに急ブレーキがかかったり、
そもそも人間が運転しなくても、目的地まで
車がかってにつれていってくれるしくみもかんがえられている。
人間に運転をまかせていては、
ぜったいに事故がなくならないからだろう。

客観的には、ブレーキの改善など、車の性能がたかまり、
事故がおこりにくい車がつくられるようになっているし、
交通事故による死者数はだんだんへってきている。
シートベルトとエアバックが標準装備となり、もしぶつかったとしても、
のっている人間が大ケガをしないように改良がすすめられてきた。
車がひとにぶつかったときにも、
車がただ頑丈であってはひとが大ケガをしてしまうので、
ショックを吸収されるようなボディがつくられるようになっている。
ただ、いくら自分で注意して運転していても、
あいてがぶつかってくるのはどうしようもない。
さいごのきりふだは、人間が運転をしないですむシステムだ。

車の運転は、自分が慎重であることと、
まわりの運転者がみんな、まともな運転をしてくれる、
という信頼のもとになりたっている。
これから高齢者による運転がふえ、
正常な判断力を期待できなくなるとしたら、
あぶなっかしくて運転ができない。
いくら車の運転は危険ととなりあわせとはいえ、
事故をもらうのを覚悟してまでのりたくはないし、
そういう道路になってほしくない。
運転者にしめる高齢者ドライバーの割合はふえていくばかりであり、
人間にたよらない運転システムの導入が、どうしても必要になってくる。

高齢化については、介護の面からみた課題がよくかたられるけど、
ほかにも根本的な改革がもとめられる分野はおおいのではないか。
自動車の運転もそのなかのひとつで、
マナーや意識改革をいくらうったえても、
事故をへらすことはできない。
人間にたよらない運転システムなど、
あまりかんがえたことがなかったけど、
高齢化社会ではどうしても必要な機能だと
自分が事故をもらってはじめておもった。
もちろん、わたしにしても不注意からの事故はいくらでもおこりえる。
高齢化がわるいのではなく、自動車という存在がそもそも未熟なものだった、
とおもったほうがいいだろう。
自動車の運転をひとまかせにするのは、あまりにもリスクがたかい。

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posted by カルピス at 23:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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